高市早苗・経済安全保障担当相(2023年3月9日撮影)
高市早苗・経済安全保障担当相(2023年3月9日撮影)

立憲民主党の小西洋之参院議員が3月2日に問題提起した、放送法の「政治的公平」をめぐる総務省の文書の問題。当初は小西氏が「内部文書」と指摘するだけだったが、7日に総務省が、正式な「行政文書」と認め、「取扱厳重注意」の文書全文を公開。真贋(しんがん)論争に、ひとつの結論が出た。第2次安倍政権当時に官邸側による「圧力」があったかどうかが問われる中、官邸と総務省が当時、その解釈について協議を重ねた経緯が記され、小西氏や立民の追及姿勢はがぜん強まってきた。

文書の中身とは別に、当初からこの文書の自身に関する記載を「捏造(ねつぞう)」と断じ、そうでなかった場合は大臣を辞任、国会議員も辞めるとたんかを切った高市早苗・経済安全保障担当相の去就も新局面に入った。しかし、その後、進退をめぐる高市氏の主張は煮え切らず、じわじわ“後退”しているような気配すら漂う。

3日の小西氏との初対決では、閣僚の辞任、議員辞職も「構わない」と激しくたんかを切ったが、7日に正式な行政文書だと総務省が認めると、8日には「(自身に関する記載が)事実であれば責任を取りますよ。でも事実じゃないじゃないですか」と、主張。自身の進退はあくまで文書の真贋(しんがん)が前提で、総務省が行政文書と認めた後も、捏造との立場をかたくなに崩さない。

9日には「総務省に不正確な文書が保存されていたということは、残念に思う」と、文書が書かれた当時の総務相の立場での言及。10日には「当時の総務相として、総務省の行政すべてに責任を持つ立場だったので、責任を感じる」「大変申し訳ない」と、捏造の主張を踏まえた立場で謝罪する展開になった。

高市氏の声色は当初の勢いのままのように聞こえる。しかし、小西氏と向き合った立ち位置は少しずつ、後ずさりしているように感じる。

永田町で取材すると、職や立場をかけた高市氏の発言について「安倍さんの答弁を思い出す」という声を聞いた。2017年2月17日の衆院予算委員会。森友学園の国有地払い下げ問題への自身や夫人の関与を問われた安倍晋三首相(当時)は「私や妻は一切関わっていない。関わっていたら間違いなく首相も国会議員も辞任すると、はっきり申し上げたい」と明言。委員会室はどよめいた。ただ、最初にハードルを高くあげると、下げるのは難しくなるのは世の常。立憲民主党の泉健太代表も10日の記者会見で「安倍氏のまねだ。自身の発言を曖昧にすることで、今の立場を維持するしかなくなった」と切り捨てた。

今回の行政文書は、あの「モリカケ」問題を機に、文書管理のガイドラインが改訂される前に作成されている。そんなことも影響しているのか、関係者への調査を続けているとしている総務省も、正確性の是非にはっきりと踏み込まない状況が続く。「文書の作成者、もしくは文書に登場する関係者が公の場できちんと証言するほかない」「文書の中身を改ざんして誰が得をするのか。高市氏を煙たく思っている人だけではないのか」。取材した人の反応もさまざまだった。

安倍派のパーティーで笑顔で乾杯のジュースを掲げる、当時自民党政調会長の高市早苗・経済安全保障相(右)(2021年12月撮影)
安倍派のパーティーで笑顔で乾杯のジュースを掲げる、当時自民党政調会長の高市早苗・経済安全保障相(右)(2021年12月撮影)

高市氏は昨年8月の内閣改造で、自民党の政調会長から経済安全保障担当相へ横滑りした。当時、岸田文雄首相から入閣要請の電話を受けた心境を「今も辛い気持ちで一杯」などとツイッターに記し、暗に入閣を拒むようで物議を醸した。当時、安倍氏から要請は受けるべきと諭されていたと明かしたが、安倍氏は亡くなり、強力な後ろ盾を失った。そんな経過もあるためか、今、高市氏をかばうような空気は、政府、自民党内に「ほとんどない」(関係者)状態だという。

偶然とは思うが、総務省が小西氏が指摘した文書を正式な行政文書と認めた3月7日が高市氏の誕生日当日だったことにも、思惑が交錯した。「足かけ4年、大臣を務め、今でも(総務省には)愛情がある。多くのすばらしい職員がいることは誰より承知している」と訴えた高市氏は、どんな思いで今年の誕生日を過ごしたのだろう。

高市氏をめぐっては、地元の奈良で行われる4月の奈良県知事選で総務相時代の秘書官の擁立に動いたが、5選を目指す現職との間で一本化調整ができずに「保守分裂」を招いたとして、批判する向きもある。地元では、今回の文書問題が知事選に影響することを不安視する声もあると聞いた。今の高市氏には国会でも地元でも「四面楚歌(そか)」という言葉がまとわりついている。事態打開への一手は、出てくるのだろうか。【中山知子】