東日本大震災の津波で児童74人、教員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に約23億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁(小川浩裁判長)は26日、市と県に賠償を命じた1審判決を変更、約1000万円増額し約14億3617万円の支払いを命じた。震災前の市や学校の防災体制について、初めて過失を認定。これまでの津波訴訟で、地震前の学校や企業の組織的過失が認められたケースはなかった。学校教育下における防災体制を改めるべき判決で、全国の教育関係者に大きな影響を与えそうだ。
事前の学校防災体制が十分であれば、大川小の子どもたちは2018年の今も、生きていたはずだった-。高裁判決がそう認めた。
事前の不備は認めず、津波襲来の約7分前でやっと津波が予見できたとした1審判決から一転。10年4月30日までに危機管理マニュアルを作成・改定する義務を負った、柏葉照幸校長(当時)、教頭(津波で死亡)、教員で唯一生存した教務主任、そして管理する立場の石巻市教委に、過失を認めた。
校長らは09年施行の学校保健安全法に基づき同マニュアルを改定したが、津波避難先は「近隣の空き地、公園」のままで、防災対策を怠ったと判断した。
市のハザードマップでは大川小が津波の避難場所に指定されていたが、小川裁判長は「北上川の近くにあって津波の危険性はあり、予見は十分に可能だった」と言及。「避難先として標高20メートル超の高台を指定していれば、津波を回避できた」と指摘した。
当時小6だった長男大輔くんを亡くした今野浩行原告団長(56)は「ものすごい重圧だった。正直ホッとした」と目を潤ませた。「負けていたら、裁判に参加していない遺族が続けている、語り部や子どもたちの命を守る活動ができなくなってしまう」と押しつぶされそうだった。
裁判を起こした14年3月。悩んだ末、原告団には入らなかった佐藤敏郎さん(54)。当時小6の次女みずほさんを亡くしたが、その教訓を語り部として、大川小を訪れた人や全国の講演で広める活動をしてきた。
勝訴後、2人は裁判所前で自然と抱き合った。「さすが先輩、という気持ちだった」と佐藤さん。大川中バレーボール部で2つ先輩だった今野団長。少し見せた笑顔も次の瞬間、「そんな間柄で一緒に、こういう立場にいるなんて…」と、子どもを失った現実に引き戻された。
この判決は「スタートライン」と話す遺族は多い。法律論では勝ったが「なぜ子どもたちは死んだのか」という真実には行きついていない。今野団長は「裁判が終われば、再び市教委との話し合いをしたい。生き残った教務主任に本当のことを聞きたい」と言った。
2603日前、苦しくつらい死を遂げた児童たち。その命を無駄にせず、遺族らは学校防災を大きく前進させる、画期的な判決につなげた。【三須一紀】