1993年(平5)、日本中が新しい物語の誕生に沸いた。皇太子さまとハーバード大卒の外交官という最高のキャリアを持つ小和田(おわだ)雅子さんの結婚。一時は白紙に戻りながら、皇太子さまは86年の出会い以来の思いを貫き、小和田さんは皇太子妃への道を決断した。この年、恋愛成就を求めるカップルが殺到したのが静岡、愛知、長野3県境近くの無人駅、JR飯田線の小和田(こわだ)駅だった。

小和田駅のことを最初に報じたのは、駅のある静岡県水窪(みさくぼ)町(現浜松市)の地元紙「静岡新聞」だった。2月16日付で「雅子さんブームでにわかに脚光 JR飯田線小和田駅」の見出しで、水窪駅で小和田駅行きの切符を求めた人が15日までに約30人になったと伝えた。ただ、漢字表記は同じでも「おわだ」と「こわだ」。こじつけ気味で人数も30人と少ないことに照れたのか「ここは『こわだ』だけど、やっぱり雅子さんが他人に思えなくて」「全国に大和田駅は3カ所あるが、小和田駅はここだけ。『おわだ』じゃないので、うかれすぎては不謹慎ですけどね」と、関係者の説明コメントも付け加える控えめな記事だった。

SNSはもちろん、ウィンドウズ95発売前でインターネットもほとんど普及していない時代。すぐに拡散せず、18日付で全国紙が報じ、ワイドショーが追いかけて初めて火が付いた。小和田駅行きの200円の硬券切符の販売枚数は4月16日に4万枚、5月25日に10万枚とゆっくり広がった。

人口4700人、林業が主産業で過疎に悩む水窪町は千載一遇の町おこしの好機に「小和田発ラブストーリー」というキャンペーンを始めた。ホームに「恋成就駅小和田」の標柱、駅近くのあずまやに「愛」と書かれた2人掛けのベンチ。駅舎で「小和田雅子さん写真展」、皇太子さまの趣味として知られるビオラのコンサートを開いた。「結婚の儀」直前の6月6日には特産の天竜杉で拝殿を造り、全国から応募した45組から選ばれた関西のカップルが十二単(ひとえ)で挙式し、町内をオープンカーでパレードした。

当時、商工観光係長としてキャンペーンを進めた守屋盛明さん(66)は「町を挙げたイベントでした。ものすごく盛り上がったですよ。カメラの放列を初めて見ました」と話す。挙式当日、12台のテレビカメラが並んだ。05年、浜松市と合併して町名が消え、人口も2300人と半分になってしまった町にとって25年たった今も輝く思い出だ。

小和田駅には今も「恋成就駅小和田」の柱、順番待ちの行列ができた「愛のベンチ」が残る。しかし、色あせ、字の判読が難しくなってきた。四半世紀前、この駅に一大ブームがあったことを感じさせてくれるのは駅舎に置かれた「思い出ノート」だ。さまざまなカップルが2人の名やイニシャルとともに「私たちは今日、小和田駅より幸せ行きの列車に乗ります」「一生の愛をここに誓います」「私たちも11月6日、幸せになります。来て良かった」…と書き残していた。

十二単で挙式したカップルに近況を聞こうと、当時の連絡先に電話をしてみた。残念ながら「お客さまがおかけになった電話番号は現在使われておりません」との音声が流れた。守屋さんは子どもが生まれ、幸せだと聞いたという。おふたりにあやかって25年前、この小さな無人駅を訪ねたたくさんのカップルも無事銀婚式を迎えただろうか。【中嶋文明】