経済企画庁(現内閣府)長官を務めた作家・経済評論家の堺屋太一(さかいや・たいち)さん(本名・池口小太郎=いけぐち・こたろう)が8日午後8時19分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳。大阪市出身。

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08年1月、大阪府知事選が始まると、堺屋さんは橋下徹氏と街頭に立った。橋下氏の熱弁スタイルに対し、堺屋さんは冷静に大阪の現状を訴えた。大企業は次々と東京へ本社を移転し、1人当たりの所得も東京や愛知に水をあけられている。演説からは故郷・大阪を思う強い危機感が伝わってきた。

行政経験がない橋下氏をなぜ、府知事候補に推したのか? 街頭演説の合間に堺屋さんに質問した。「大阪の知事には情報発信力のある人が必要。いまの大阪には元気がないからね」。物腰は柔らかかったが、言葉の端々から橋下氏の突破力を期待する思いがあふれていた。

生まれたのは大阪市東区岡山(現在の中央区玉造)。故郷への思いは橋下氏よりも熱かった。【松浦隆司】

◆堺屋太一(さかいや・たいち) 本名池口小太郎。1935年(昭和10年)7月13日、大阪府生まれ。東大経済学部を卒業後、通産省(現経済産業省)に入省し、78年退官。執筆、講演活動を行う。98年7月から00年12月まで小渕内閣、森内閣で経済企画庁長官。13年安倍内閣で内閣官房参与。著書は「団塊の世代」「峠の群像」など多数。12年旭日大綬章受章。