平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災、福島第1原発事故から間もなく8年。復興は進んでいるが、福島には今なお名古屋市とほぼ同じ面積、337平方キロもの帰還困難区域が広がる。人気テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」から生まれたDASH村も浪江町の帰還困難区域にある。土地を提供した三瓶宝次さん(82)、漬物名人で「お母さん」として登場した孝子さん(82)夫妻を訪ねた。

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福島市で避難生活を送る三瓶さん夫妻は2カ月に1度、浪江町津島の国道114号沿いにある自宅と、そこから2キロほど離れたDASH村を見回りに行く。114号は17年9月、通行規制が解除された。「除染してないし、線量も高いからなかなか行けないんですよ。夏は防護服着ると、暑くていられないから、春や秋の涼しいときに半日ぐらい」と孝子さん。

朽ちたため2年前に作り直したDASH村の扉を開け、村を見て回り、道路脇の草を刈る。役場も水車小屋もヤギ小屋もそのままだが、「イノシシに入られて中はガチャガチャ。ベニヤ板張って、入られないようにしているんだけれども」(宝次さん)。田んぼにはヤナギが生え、切ることもできないうちに「ヤナギの森になった」(孝子さん)という。

8年前までここは「山あり沢あり田んぼあり畑あり。フキノトウでもワラビでもマツタケでもシメジでも何でも採れて、自給自足できるぐらい豊富な恵みがある場所だった」(宝次さん)。しかし、村の南東約30キロにある福島第1原発の事故で津島の450戸、1459人の住民は四散した。

津島は戦後間もなく、食糧増産と引き揚げ者対策で、福島一の規模で国有林入植が行われた。血の汗を流すように開拓した土地が300町歩(300ヘクタール)ある。DASH村も宝次さんの親戚が入植し、開拓した土地だ。

宝次さんは「開拓団に入って満州に渡って、終戦後、ソ連の捕虜になったり、命からがら逃げてきて津島の開拓に入った人がいるんです。それが今度は原発で追われて。国の政策の失敗を2度体験させられる目に遭っているんです」と話す。

17年12月、津島支所を中心とした国道沿いの約4キロ、137ヘクタールが特定復興再生拠点に指定された。23年3月の避難指示解除を目指し、除染とインフラ整備が進められている。しかし、DASH村など国道から離れた地域は外れた。宝次さんは「一部に復興拠点ができても津島全体を再生するのは不可能。範囲を拡大して10年以内に津島全体の除染を終えるようにしないと、地域が消滅してしまう」と訴え、町に要望書を出した。

DASH村が誕生した2000年。中山間地整備事業で村の近くを流れる川沿いに200本の桜が植えられた。立派な桜並木になったが、皆で花見をすることもできない。「みんな分散して生活圏が破壊されました。東京の人たちの感覚と被災地の人の思いは時間がたてばたつほど、かけ離れていきます。忘れられてしまうんだろうな」。宝次さんの8年目の思いだった。【中嶋文明】

◆DASH村 日本テレビ系「ザ!鉄腕!DASH!!」(日曜午後7時~)のコーナーとして00年6月にスタートした。TOKIOのメンバーが故三瓶明雄さん、三瓶金光さん、三瓶孝子さんら地元の人に教わりながら、かやぶき屋根の廃屋を再生し、米、野菜を作り、シイタケを栽培。ヤギ、ヒツジなどを飼育した。4ヘクタールの用地には炭焼きがまや水車小屋もあった。03年1月、火災が起き、地元紙に報じられるハプニングがあったが、所在は非公表で、原発事故後の11年4月、浪江町津島にあることが初めて発表された。

◆浪江町 福島第1原発のある双葉町に隣接し、大震災当時の人口は2万1500人。大震災では津波などで182人が死亡した。町は大震災翌日の3月12日、役場機能を津島支所に移し、町民約8000人も津島地区に避難したが、同日午後、1号機が爆発。国や県、東電から全く連絡がない中、町民は15日まで避難を続けた。17年3月31日、町の8割を占める帰還困難区域を除き、避難指示が解除され、役場も二本松市から町に戻ったが、2月末現在、居住者は599世帯、910人(約4%)にとどまっている。

◆帰還困難区域 12年3月の時点で年間放射線量が50ミリシーベルトを超えていた地域。福島第1原発がある大熊町、双葉町のほか、浪江町、南相馬市、葛尾村、飯舘村、富岡町の7市町村にまたがり、総面積は337平方キロ。浪江町は180平方キロで53・4%を占める。原則立ち入り禁止で、境界にはバリケードが設けられている。対象住民は2万4000人。一時立ち入りには市町村長が発行する通行証が必要で、宿泊はできない。国は1市町村に1カ所、特定復興拠点を設け、除染とインフラ整備を進めている。浪江町は面積が広いことから3カ所指定された。