プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也(のむら・かつや)さんが11日午前3時半、虚血性心不全のため死去した。84歳だった。京都府出身。

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野村さんの故郷・京都府京丹後市網野町の「野村克也ベースボールギャラリー」には11日、献花台が設置され、地元の人やファンが手を合わせた。日本海に面した丹後半島の京丹後市網野町にある産業振興施設「アミティ丹後」。約100平方メートルの1室に、野村氏をたたえる施設がある。戦後初の3冠王を記念したペナント(65年)や最高殊勲選手賞(61年)のトロフィー、写真パネル、記念品、著書など約200点が展示されている。

突然の訃報が飛び込んだ午前中、施設内に急きょ献花台と記帳台が設置された。献花台にヤクルトのロゴが入った傘を置き、涙ぐむファンもいた。献花に訪れた京丹後市の三崎政直市長(67)は「プロ野球選手・監督として傑出したご功績を残され、野球界の発展のみならず、広く社会文化の振興に大きく貢献されました野村克也さんは郷土の大いなる誇りであり、誉れであります」と郷土の英雄を悼んだ。

野村さんは京都府立峰山高校から南海に入団。球史に残る数々の記録を打ち立てた功績から旧網野町は90年に町民栄誉賞を贈り、合併後の京丹後市も09年に名誉市民第1号に選んだ。

地元の60代男性は「ベースボールギャラリーが完成するまで紆余(うよ)曲折があった」と振り返った。市によると、トロフィーなどの品々は、90年に野村さんから寄贈を受けた。記念館の建設計画が頓挫するなどし、会議室の段ボール箱の中などに保管されたままになっていたが、市民の「ノムさんは郷土の偉人」との声を受け、市が約1100万円をかけて整備。18年3月に「野村克也ベースボールギャラリー」としてオープンした。今では月に多いときに約1000人が訪れる「観光スポット」になった。【松浦隆司】