★広島、長崎と原爆記念碑の式典での平和を願う声とは裏腹に、首相・高市早苗、官邸側近、防衛相・小泉進次郎らは核保有へ進める議論をしたくてしょうがない。なにしろ首相の歴史観や戦争観は相当ゆがんだもので、野党・自由改革連合の議員時代の1994年10月の衆院予算委員会で「首相は、7月、9月と2度の所信表明の中で、先の大戦への反省、それから過去の侵略行為や植民地支配といったものに触れ、8月の全国戦没者追悼式では、私たちの過ちによって惨憺(さんたん)たる犠牲を強いられたアジアの隣人たちという言葉を使ったが、具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えているのか。また首相の言う過ちとは具体的に何を指すのか、法的な根拠のある過ちだったのかどうかもお答え願う」と首相・村山富市に問うた。
★首相は「私は、兵役に服して、そして国のために一命をささげて働いてこられたすべての人方に対して誤りだったというようなことは言っていない。しかしこれはまあ歴史がそれぞれ評価する問題点もたくさんあるかと思うが、しかし当時の日本の軍閥なりそういう指導者のやってきたことについては、これは今から考えると、やはり大きな誤りを犯したのではないかということを言わざるを得ないと思う」と答えると「その50年前の当時の指導者がしたことを過ちと断定して謝る権利が、現在、50年後にこの国を預かっている村山首相にあるか」と畳みかけた。首相は「私は、今日本の国の首相として、日本の国を代表してアジアの国々に行けば、そういうふうに被害を与えた方々に対しては、大変申しわけなかったと、やはりその反省の気持ちを表すのは当然ではないかと思う」と答えた。
★翌年3月の衆院外務委員会でも高市は「少なくとも私自身は当事者と言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と発言。当時の外相・河野洋平に「過去の戦争について全く反省もしない、謝罪をする意味がないという議員のご発言には、私は見解を異にすると申し上げます」と答弁。高市らの歴史など関係ない路線の不規則発言はこれからも増えるだろう。問題はそれらを否定できる政治家、世論が対抗軸として必要なことだ。(K)※敬称略


