東日本大震災発生当初から、情報発信の手段として、日本で08年から展開されたツイッターなどSNSが利活用されてきた。11年4月、津波で甚大な被害を受けた宮城県女川町に開局した臨時災害放送局「女川さいがいFM」は放送と並行し、ツイッターで全国に復興の情報を発信し、16年の閉局後も一般社団法人オナガワエフエムとして活動を続ける。大嶋智博プロデューサーに被災地における情報発信のあり方と、SNSの変遷について聞いた。

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震災発生直後、停電などでテレビや携帯電話が使えなくなり乾電池で動くラジオが見直されたが、流れる情報の多くが東京や県庁所在地から発信されたものだった。東京で番組などの企画、制作に携わる大嶋さんは「配給をはじめ被災地ごとに必要な情報がない。そこをどうにかするのが、自分に出来る支援」と感じ、関係者から津波で甚大な被害を受けた女川への支援要請を受け、11年4月に現地に入った。「聞いてもらわないと伝わらない」と、ラジオを集めて住民に配布することから始め、開局した。

当時は被災地発のツイートも注目されたが、女川で実行していた人は2人程度だったという。そこで局の公式ツイッターも立ち上げ連日、発信を続けた。16年3月29日に閉局し、東北放送TBCラジオの1番組として継続する今もツイッターは稼働し、フォロワーは1万4000人に上る。

震災発生当時はツイッターの匿名性を悪用したデマも問題視されたが、普及も進み、自治体が公式アカウントから情報を発信するのが普通になった。16年の熊本地震の際は、熊本県の自治体が車中泊によるエコノミー症候群への注意喚起や予防策などを発信した。

2月13日に福島県沖地震が発生した際は、米国の招待制音声SNSアプリ「Clubhouse」を活用し、被災地の生の声を発信する試みがなされた。その仕掛け人も大嶋さんだ。女川町民に声をかけ、ルーム「東北震度6石巻、女川現地と話してみます。」を立ち上げ、状況をリアルタイムで発信した。震災発生直後は被災地への電話が殺到し、つながりにくくなるものだが、ルームは5000人以上が入室でき、意見交換も可能。安否確認や必要な物資の支援など、有効活用の可能性は見えた。

ただ、大嶋さんは「現状、iPhoneしか使用できない。電源や基地局が流されてしまえば使えなくなる点は10年前と変わらないし、使えないお年寄りもいる」と指摘。「首都圏で災害が起きた場合、ルームが幾つも出来れば情報が錯綜(さくそう)する。災害時の発信には、まだ使えないと思います」と分析する。

18年の北海道地震の際も、女川でのノウハウを請われ厚真町、むかわ町でさいがいFMの立ち上げに尽力した大嶋さん。「どんなに新しいSNSや技術が出ようとも、何を発信するかが大事。その点は今後10年、20年も変わらない」。信頼性の高い発信を続ける闘いは、続く。【村上幸将】

◆震災とSNS&スマホの普及 総務省の情報通信白書11年度版は、東日本大震災で被災した11の自治体がツイッターの公式アカウントを持ち、発生後に情報を発信したと紹介。一方、ツイッター上では事実と異なるデマも拡散されたと指摘した。熊本地震発生翌年の17年の同白書では、震災発生時の情報活用の手段として、東日本大震災時に0・9%だったSNSの利用割合が、69・5%の携帯通話に次ぐ2位の47・6%だと明らかにした。また同省の通信利用動向調査によると、スマートフォンの世帯の保有割合は、最初に算出された10年は9・7%だったが、東日本大震災が発生した11年に29・3%に増加。熊本地震が起きた16年には71・8%、19年は83・4%と普及が進んでいる。