葉山の海に兄弟の灯台を- 1日に89歳で亡くなった元衆院議員で作家の石原慎太郎さんが、少年時代に弟裕次郎さんとヨットを始め、愛し続けた海の広がる神奈川県葉山町のヨット関係者から2日、慎太郎さんの灯台建設実現を熱望する声が上がった。

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葉山町沖には、すでに「裕次郎灯台」の愛称で親しまれる「葉山灯台」がある。裕次郎さんの三回忌の89年7月、「岩が多いし、この付近には灯台が必要だね」との裕次郎さんの言葉から、慎太郎さんが音頭を取って完成した灯台だ。この灯台の隣に、慎太郎さんの灯台を建設するという構想は、慎太郎さんが著作で明かしていた。

慎太郎さんは20年6月の作家の曽野綾子さんとの対談をまとめた「死という最後の未来」(幻冬舎)の中で、自らの死後についてこう語っている。「葉山の森戸海岸の沖合、岩礁に、裕次郎の灯台を作ったんです。その手前に記念碑も作った。僕はその横に自分の灯台を建てて、やはり石碑を作って、句を刻むようにと子供たちに命じてありますから」。

葉山町のヨット関係者の30代男性は「裕次郎灯台ともう1つ並んだら、うれしい。何か石原慎太郎さんの記念となるものが、葉山の海に残ったら良いと思いますし、そうなってほしい」と兄弟の灯台の実現を熱望した。海上に白く立つ、裕次郎灯台が見える森戸神社にはこの日、ファンの姿もあった。都内の70代男性は「妻と鎌倉に行く予定だったのですが、石原慎太郎さんが亡くなったこともあって、ゆかりのある逗子や葉山にいってみようとなった」と語った。

慎太郎さんが石碑に刻みたいとしていたのは、辞世の句だ。14年6月に秘蔵のヨットの写真やポエムを集めた自叙伝的写真集「私の海」(幻冬舎)の冒頭で明かしている。「灯台よ 汝(な)が告げる言葉は何ぞ 我が情熱は誤りていしや」。また、同じ「私の海」の最後は、遺言として「葬式不要、戒名不要。我が骨は必ず海に散らせ」とも記述。「死という最後の未来」でも「分骨すると決めて、石原のご先祖の墓と、海に散骨するよう言ってあります」と語っていた。

87年に亡くなった裕次郎さんの遺骨は、慎太郎さんが海への散骨を希望したが、当初は法務省から難色を示されて断念。後に「節度を持って行う限り違法ではない」との判断を受け、相模湾に散骨している。慎太郎さんの記していた希望が実現すれば、ヨットを愛し続けた兄弟が共に帰った海を、2人の灯台が、見守ることになる。【清水優、鎌田直秀】