ロシアによる軍事侵攻でウクライナ南部ザポロジエから脱出した夫妻が2日までに日刊スポーツの取材に応じ、日本へ避難するまでの一部始終を語った。

度重なる空襲警報に危機感を覚え、8日間かけて日本にたどり着いた。同じ州には欧州最大規模の原子力発電所があり、事態がさらに悪化すればチェルノブイリ原発事故を上回る被害が出ることも懸念する。残された家族の無事を祈りながら、不透明な先行きを案じた。

セルゲイ・ホルジェブスキーさん(62)と妻のイリーナ・ホルジェブスカさん(61)は3月末、長女のマリーナさん(39)を頼って日本へ来た。出迎えに来たわが子を目にした時に涙がこぼれたというホルジェブスキーさんは「今までにない気持ちになった」。再会できた喜びは何にも代えがたかったと、平和の意義をかみしめていた。

夫妻はザポロジエ州の市街地で人生の大半を過ごしてきた。3カ月ほど前までは「まさか戦争が始まるなんて思ってなかったし、今日本にいることなんて考えたこともなかった」(ホルジェブスカさん)。

戦争が始まった2月24日に一転した。ロシアがウクライナへの軍事侵攻に踏み切り、次第に自分たちが住む所にまで攻撃が及ぶ可能性が高まった。自治体からの空襲警報が日常化し、頻度は1日5、6回に上った。その都度近くのシェルターに避難した。

3月上旬にはウクライナ国内の15基の原子炉のうち6基が集中するザポロジエ原発が、ロシア軍に掌握された。2人が住む市街地から120キロ近く離れているとはいえ、警戒心が強まった。ホルジェブスキーさんは言う。「我々はチェルノブイリで起きたことを決して忘れていない」。

1986年(昭61)4月に旧ソ連キエフ市の北約130キロで原子炉が爆発し、ばらまかれた放射能は欧州諸国の農産物や乳牛まで汚染した。仮にザポロジエ原発で同じことが起きれば、大惨事は免れない。「風に乗って放射能はどんどん広がっていく。このままでは大変なことになると思いました」。

一刻の猶予もない中、鉄道で国境を越えた。寝台車に揺られながらポーランド・ワルシャワへ向かい、到着後は避難民たちに提供された大型スポーツ施設に5日間身を寄せ日本へ向かう飛行機を待った。不安な気持ちが押し寄せる中、現地のボランティアたちが励ましの言葉を掛けてくれたことで精神を保った。

ホルジェブスキーさんは今も、故郷に残る次女夫妻のことが気になり不安を隠さない。「戦況が悪化すれば次女の夫は戦地に向かうことになるかもしれない…」と考えると、よく眠れない。夫妻の携帯電話には今も空襲警報の通知が絶えない。残された家族のことを思いながら「戦争に勝って、早く故郷に戻りたい」と願うばかりだ。【平山連】

○…日本でプロダンサーとして活動する長女のマリーナさんは夫とともに、母国に残る家族や友人の支援へ寄付を呼びかけている。日本へ来るための航空券代や宿泊代に充てる。仕事用に開設したホームページからや開講するダンスレッスン、イベントに参加することで寄付ができる。「ウクライナにずっと関心を持ってもらうために、なんでもしたい」とサポートを惜しまない。