ロシア軍のウクライナ侵攻が始まってから1カ月半が経過しました。強国と国境を接するこの国の悲劇を題材にした映画は少なくありません。劇中で描かれたのはあくまで一側面であり、製作者の立ち位置が色濃く反映されているのも事実ですが、ニュース番組だけではうかがい知れない、この地域の人々の思いを垣間見ることができます。

篠田正浩監督の「舞姫」(郷ひろみ主演)のロケ撮影に同行して、当時の東ベルリンを訪れたのは1988年(昭63)秋のことです。この時のことを書くのは、ちょうどその頃、後に大統領となるプーチン氏が、そのベルリンから列車でわずか2時間の東ドイツ・ドレスデン支部で表向きは独ソ友好会館館長、実態は「KGB支部長」を務めていたからです。

撮影隊は西ベルリンのホテルに宿泊し、45キロにわたって東西を分断する壁を越えて19世紀の街並みが残る東ベルリンのロケ地に通うのが日課でした。

西側の人が「チェック・ポイント・チャーリー」と呼ぶ検問所を毎日のように通過する必要があり、自動小銃を携行した警備兵がロケバスの隅々までチェック。高さ5メートルの監視台からも銃身がのぞいていました。が、壁ができてからすでに四半世紀を数え、検問もお役所仕事的になっていて恐怖を覚えることはありませんでした。

ネオンあふれる西側に比べると、東側は文字通り石造りの印象で、人通りも少なく、森鴎外原作の「舞姫」の舞台にふさわしいと思いました。

一方で、メーカー名の分からない旧式の乗用車も走っていて、駐車中のそれの後方部に見つけた小さな穴に小指を差し入れてみるとそこにはベニヤのようなささくれがあり、何と「木製」だったことに驚きました。

街並みがいくら美しくても、東側でももっとも厳しいと言われたシュタージ(秘密警察)の監視下、西欧に比べて周回遅れの貧しい生活に人々は息を潜めていたのです。ベルリンの壁が崩壊したのはこの1年後のことです。程近いドレスデンにいたプーチン氏は衝撃を受け、後の生き方にも大きな影響を受けたと言われます。

が、ドレスデン支部でNATOなど西側の情報収集を任務としていたプーチン氏が、壁をはさむ「東西格差」の大きさや、東側の人々の不満や絶望が爆発寸前のところまで膨らんでいたことに本当に気付かなかったのでしょうか。

国境の向こう側を「ネオナチ」と言い切ってしまう侵攻前後の発言が、都合の悪い事実には目をつぶったあの頃の姿勢に重なって見えて仕方がないのです。【相原斎】