マサカリ投法で知られ、プロ野球ロッテの投手として活躍した村田兆治さんが11日午前5時57分、亡くなった。72歳だった。

警視庁によると、東京都世田谷区の村田さんの自宅で火災が発生。死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素(CO)中毒とみられ、床に座った状態で発見された。自宅には村田さん1人だった。村田さんは独特のダイナミックなフォームから剛速球とフォークを操り、プロ通算215勝を挙げた。40歳まで現役を続けて名球会入りし、05年には野球殿堂入りを果たした。

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東京消防庁によると、11日午前3時15分ごろ、東京都世田谷区成城で2階建ての住宅から出火し、2階部分の約40平方メートルが燃えた。住宅には村田さんが住んでおり、意識不明の状態で病院に搬送されたが、午前5時57分死亡が確認された。死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素(CO)中毒とみられる。大きなやけどなど目立った外傷はなかったという。消防車両26台が出動し、火は午前6時50分ごろに鎮火した。

警視庁成城署によると2階のリビングから出火。村田さんはリビングと同じフロアの小部屋から、床に座った状態で見つかった。2階にもキッチンはあるらしく、警察は火元の原因を調べている。遺書などは確認されていない。

隣に住む男性(67)によると、外から火が見える前に村田さんの家から「バタン、ガタンという金属がぶつかるような衝撃音が30分ほど鳴り響いていた」と、男性はその音で目覚めたほどで、焼けた部屋からはバーベルなどが運び出されていた。その後、村田さんの自宅が燃え始め、2階の窓ガラスが飛び散ったのを見て妻(63)と路上に避難した。男性によると午前4時ごろ、消防隊員がぐったりとした村田さんを抱えて外に出てきた。消防隊員は村田さんに心臓マッサージをして、ストレッチャーで搬送したという。そのときの村田さんは、丸首シャツに下着のパンツだけの姿。男性は言葉を発したり、体が動いているようなことは確認できなかったという。

村田さんはプロ野球で数々の輝かしい功績を残してきた。その一方で、9月下旬に羽田空港で女性検査員の肩を押したとする暴行容疑で、現行犯逮捕されていた。同25日に釈放された際には頭を深々と下げて謝罪し、「たくさんのファンの方々、子どもたちに、イベントなどで、夢を持って希望を持って頑張れと言っていることに関して、今回の私の逮捕は非常に遺憾だと思います」と深く反省していた。

近しい関係者によると、村田さんは事件について「意識して暴力をふるったことでは絶対にない」と話し「今後も子どもたちに野球を教えていくために、意図的な暴力ではなかったことを何らかの形で証明したい」と述べていたという。野球の魅力を広めていく意欲は衰えていなかったが、突然の出来事によって、その道も閉ざされてしまった。

◆村田兆治(むらた・ちょうじ)1949年(昭24)11月27日生まれ。広島県本郷町(現三原市)出身。福山電波工(現近大広島高福山)から、67年ドラフト1位で東京オリオンズ(現ロッテ)入団。マサカリ投法と呼ばれる独特のダイナミックな投球フォームから剛速球とフォークを操り、プロ通算215勝177敗、33セーブ、2363奪三振、防御率3.24。最多勝1回などタイトル多数。右肘手術を乗り越え、85年カムバック賞。通算148暴投はプロ野球記録。40歳まで現役を続けて名球会入り。05年野球殿堂入り。解説者としても活躍。右投げ右打ち。

<村田さん近況>

・8月25日 新潟佐渡島で行われた全国離島交流中学生野球大会に参加。野球教室を開催し、キャッチボールでは遠投を、さらにはフォークボールまで披露。

・9月23日 羽田空港の保安検査場で、金属探知機に何度も引っ掛かったことに端を発し、女性の保安検査員の左肩を右手で押すなどして、暴行容疑のため現行犯逮捕される。北海道芦別市で開催のスポーツイベントに向かう途中だった。本人は容疑を否定。

・9月25日 拘留されていた警視庁東京空港署から釈放。報道陣の前で謝罪し「もう1度、彼女に誠心誠意謝りたい」。

・10月25日 沢村賞の選考委員を辞退。