NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が18日、最終回を迎えました。純朴だった北条義時(小栗旬)が権力の階段を上るにつれ、闇落ちしていく前代未聞のブラック大河。前回、自分の首を差し出すことで鎌倉を守ることを決意した義時に、政子(小池栄子)は大演説で結束を呼び掛けました。政子は「かっこいいままでは終わらせません」と予告していましたが、義時はその予告通りの最期を迎えました。時代考証を担当した坂井孝一創価大教授(日本中世史)と振り返ります。

第1話で源頼朝(大泉洋)をかくまっていることを明かされた時政(坂東彌十郎)が「最後は首チョンパじゃねえか」とぼやく、いかにも三谷幸喜氏らしい笑いで始まった大河は、回が進むにつれ、どんどんブラック化。妹の実衣(宮澤エマ)が息子の阿野時元(森優作)を鎌倉殿にしようと企てた46話では「首をはねる」「おなごの首をはねるなどの例はかつてございません」「頃合いは耳と鼻をそぎ、流罪」という恐ろしい言葉が飛び交いました。政子の言う通り「今の小四郎(義時)は何をするか分かりません」というところまで来てしまいました。

坂井教授 女性の場合には耳を切ったり鼻をそいだりする肉体刑が行われていました。歴史的にはおかしくないんです。三谷さんのコンセプトのひとつは義時を「ゴッドファーザー」のマイケル・コルレオーネにすることだったようです。

アル・パチーノが演じたマイケル・コルレオーネは知性あふれる好青年でした。兄が殺され、コルレオーネ・ファミリーの後継者となり、一家を引き継いでからは冷徹な命令を平然と下すようになります。伊豆の小豪族の次男・義時も米の勘定が好きな純朴な若者です。兄・宗時(片岡愛之助)が殺され、家督を継ぐ立場になります。

坂井教授 三谷さんは義時をどんどんブラックにしてダークに落としていきました(笑い)。義時関連の本はたくさん出ていますが、どれをとってもドラマほどダークじゃありません。確かに御家人の筆頭になるために陰謀を行ったり、和田義盛(横田栄司)を滅ぼしたりしましたが、将軍の実朝(柿澤勇人)を支えていました。

時政とりく(宮沢りえ)を追放した義時は、2人の娘婿・平賀朝雅(山中崇)を謀反の疑いで誅殺し、東国武士中の東国武士・義盛を一族もろとも滅亡させ、2代将軍・頼家(金子大地)の次男・公暁(寛一郎)による実朝暗殺計画を知っていながら看過します。

坂井教授 三谷さんは義時をダークにすると同時に、類いまれな優秀な帝王だった後鳥羽上皇(尾上松也)を重視しました。上皇があそこまで義時のことを嫌っていたかどうかは分かりません。なにしろ身分がはるかに上で格が違いすぎますから。しかし、ドラマでは上皇と敵対した主人公の義時が、最終的に承久の乱で打ち負かすというストーリーになりました。

最終戦争に勝ち、幕末まで600年以上続く武士の世を確立した義時は承久の乱から3年後、数え年62歳で死去します。13世紀末から14世紀初めに編さんされた「吾妻鏡」は死因はかっけとしていますが、三谷氏が採用したのは3番目の妻・のえ(菊地凛子)らによる毒殺です。

坂井教授 後鳥羽上皇方に付いていた貴族出身の僧・尊長が傷を受け、瀕死(ひんし)の状態で捕縛されたとき、「義時の妻が義時を殺すために使った毒薬を自分にも飲ませ、早く殺せ」と言ったという史料が残っています。本当にそうだったのかは分かりません。そういう評判が鎌倉時代からあったことは事実で、義時が最後に報いを受けるというのが、三谷さんにとってはドラマ作りの上でしっくりきたのだと思います。

ドラマには、時政をあおりまくるりく、皮肉屋の妹キャラから野心家に変わる実衣、最後に牙をむいたのえ、後鳥羽上皇の乳母・藤原兼子(シルビア・グラブ)ら、強い女性が次々と登場しました。

坂井教授 そもそも鎌倉時代は女の人が強いんです。時代をさかのぼればさかのぼるほど、男尊女卑の度合いは少なくなります。儒教の道徳観が強要された江戸時代は、貞淑を守るのが女性のつとめで、夫が死んでも再婚などもってのほか、出家したり、場合によっては後追い自殺しますが、鎌倉時代は当主が死んだ場合、妻は後家としてその家を取り仕切る役を担った。地頭の夫が死んだ後には後家の女性が地頭になる。政子は源頼朝の後家で、北条氏というより源家の家長です。婚姻関係が同盟と同じ意味合いを持ち、何かあったときは自分たちと一緒に戦ってくれという安全保障にしていた時代ですから、若い女性の場合、夫が死んだり、離縁されると、再婚する。八重(新垣結衣)は頼朝と別れさせられると、江間次郎(芹澤興人)に嫁ぎました。何回も再婚した女性もいます。

嫉妬深い悪女といわれる政子はドラマではチャーミングです。46話では御所の庭で施餓鬼を行った政子に、少女が熱い思いを伝えようと「尼御台、よろしいですか。どうしても言いたいことがあって。伊豆の小さな豪族の行き遅れがこんなに立派になられて。行き遅れが」と行き遅れを連発し、政子が「あまり言わないで」と制止する爆笑シーンもありました。

坂井教授 政子を悪女と書いている鎌倉時代の史料はないんです。たまたま亀の前事件【注】みたいなものがあって、そこだけクローズアップされ、嫉妬深い上、最後は尼将軍になって政治に口を出す生意気な女だと、女性の地位が低下してきた戦国時代や、男女差別がはなはだしくなった江戸時代に生まれた評価を現代まで引きずっているんです。三谷さんは「政子が悪女なんてどうしても思えない」とおっしゃっていて、芯は強いけれど、チャーミングで慕われる政子にした。実際、御家人たちからも慕われていました。小池さんは歴史的な政子像とぴったりで、非常にはまっていたと思います。

義時の盟友・三浦義村(山本耕史)は最もえたいの知れない登場人物です。義盛とはいとこであるにもかかわらず、「もうひと押しでヒゲおやじは間違いなく挙兵するぞ」と義時と内通し、寝返りました。ドラマでは実朝暗殺の黒幕になろうとしたものの、発覚しそうになると裏切って公暁を刺し殺し、実衣の画策では「執権は平六(義村)、あなた」と頼りにされながら、「食いついてきた」と義時に報告します。

坂井教授 義盛に味方するという起請文(誓約書)を書いたにもかかわらず、裏切った。とんでもないやつだという評判は史料にも残っています。義村の立場に立つと、どうやったら自分が生き延びることができるかという選択だと思うんです。彼が生きている間は三浦氏は滅びません。義村は義時も政子も大江広元(栗原英雄)も死んだ後も生きていますが、義村が死んで嫡男の泰村の代になると滅ぼされてしまう。義村は三浦氏を守るために自分が悪評を得ようが、最良と思われる選択をした。ただ、ドラマでは裏切りすぎです(笑い)。三谷さんは山本耕史さんをキーパーソンとして配役してあの人物像をつくりましたね。

「そうやって俺は生きてきた。上総(佐藤浩市)、梶原(中村獅童)、比企(佐藤二朗)、畠山(中川大志)、幾人が滅んだ。三浦はまだ生き残っている。つまりそういうことだ」。義村の言葉が響きます。

【注】亀の前事件 1181年、政子の懐妊をいいことに、頼朝はお気に入りの亀の前(江口のりこ)のもとに毎晩のように通った。それがりくの知るところとなり、政子へと伝わった。激怒した政子はりくの兄の牧宗親(山崎一)に後妻打ち(うわなりうち)を頼み、亀の前の隠れ家を徹底的に破壊した。逆ギレした頼朝は宗親のまげを切って落とした。

◆中嶋文明(なかじま・ふみあき)81年入社。義時の最初の妻は不明で、泰時(坂口健太郎)の母が誰かは分かっていません。実朝に跡継ぎが生まれなかった理由も不明です。三谷氏は大胆な仮説に基づいてドラマを展開しました。この仮説について坂井教授は「可能性は十分にあります」と話していました。ただ、「仁義なき戦い」が始まり、鎌倉初期の東国武士は広域暴力団のようなものとの見方が視聴者の間に広がっていることについては「短絡的」と話していました。畠山重忠の「いくさなど誰がしたいと思うか」というドラマでの叫びが、あの時代の史実に近いそうです。