知られざる伝説が今、よみがえる-。学習院大在学中に「日本中世史」を学んだルーキー下村琴葉記者が、歴代スターホースの逸話を探る新連載「名馬秘話ヒストリア」がスタートする。第1話は“世紀末覇王”テイエムオペラオー。主戦だった和田竜二騎手(45)を直撃し、思い出を聞いた。(毎週金曜掲載)

「ノストラダムスの大予言」で人類滅亡の年とされた1999年、新しい時代が幕を開けた。新緑が輝く皐月賞。緑帽が大外から飛ぶように駆け、4角8番手から鮮烈な末脚で先頭を一気に奪い取った。

テイエムオペラオー。生涯で挑んだ26戦で、掲示板に載らない日はなかった。皇帝シンボリルドルフに並んだG1・7勝(現在2位タイ)。賞金18億3518万9000円(現在3位)は当時の世界記録。ひときわ輝くその強さに人々は深く酔いしれた。

彼の背に新馬戦からまたがったのは、3年目21歳の和田竜二騎手。「ついていくのに必死でした」と当時を振り返る。99年は皐月賞後の5戦は勝てなかったが(でも4着以下もない)、試練の時間が人馬を強くした。「競馬上手な馬でしたけど、馬もこっちも勝ち方を分かってきた。先頭に早く立つと気を抜いちゃう癖があったので、その点は一番注意していた部分でしたね」。これが翌年の伝説へとつながった。

2000年(ちなみに私が生まれた年です)、2月の京都記念を皮切りに年末の有馬記念まで無敗の8連勝。野球の投手なら完全試合って感じかしら。怒涛(どとう)の快進撃は、“世紀末覇王”の異名がぴったりだ。

話を聞く中で驚いたのが、レースでは豪快な走りを見せる傍ら、繊細な一面があったこと。「馬房でもそんなに動かない。省エネというか、エコタイプの馬だった。割と線の細い馬だったので、ずっと同じ調子で乗ってこれていたのはすごい」。カイバを食べず、厩務員や調教師を心配させたという。オンとオフの切り替えが上手だったのかな。私も見習わなくては…。

ナリタトップロードやメイショウドトウなど屈強なライバルとともに新時代を作り上げたテイエムオペラオー。彼の伝説は、21世紀の今でも人々の心に響き続けている。

◆テイエムオペラオー 1996年3月13日、北海道浦河町・杵臼牧場生まれ。父オペラハウス、母ワンスウエド(母の父ブラッシンググルーム)。馬主は竹園正継氏。栗東・岩元市三厩舎所属。通算成績26戦14勝。G1勝利は99年皐月賞、00年天皇賞・春、秋、宝塚記念、ジャパンC、有馬記念、01年天皇賞・春。00年年度代表馬。総収得賞金18億3518万9000円(JRA歴代3位)。00年は8戦全勝(すべて重賞)で、史上初の年間獲得賞金10億円超え。04年にJRA顕彰馬に選出されている。

◆下村琴葉(しもむら・ことは)2000年(平12)、東京都生まれ。学習院大学卒。学生時代は日本中世史ゼミに所属し『吾妻鏡』を講読していた。趣味は野球観戦。“ウマ娘”がきっかけで競馬に興味を持った。今年4月に日刊スポーツ入社、5月にレース部配属。初予想のダービーを◎ドウデュースで大的中。馬のメンコを見るのが好き。