8730キロ離れた異国の地で、日本馬パンサラッサ(牡6、矢作)が快挙を成し遂げた。1着賞金13億円という世界最高賞金レースを逃げ切りで勝利。世界の競馬史に名を刻んだ。

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あれから50年、最後の最後に出会えたスターホースだ。

世界最高賞金レースのサウジCを勝ったパンサラッサを担当する池田康宏厩務員(64)は、今年7月に定年を迎える。この仕事を志すきっかけは、中学2年生だった73年の朝日チャレンジC。同じく厩務員だった亡き父康雄さんに連れられ、阪神競馬場を訪れた。レース直後に手渡されたのが、優勝馬の鞍だ。汗にまみれ、温かい。「あのぬくもりが忘れられない」。その馬の名はタニノチカラ。のちに天皇賞・秋や有馬記念を制する名馬となった。

いつかは俺も…。少年は中学卒業後にトレセンへ入った。だが、勝負の世界は甘くない。50代になってようやくG1へ手が届きかけたが、10年JCダートのグロリアスノアは首差2着、18年中山大障害のタイセイドリームは鼻差2着。「写真判定に弱い厩務員やから」と弱音をこぼしても、顔にはいつも笑みがあった。

「楽しそうにしてたら、馬も上機嫌になるから」

半世紀近い厩務員生活の“ゴール前”でめぐりあったのがパンサラッサだ。やんちゃで「年寄りが手を焼いてます。2、3歳の時は人を落としたりして大変やった」と苦労するが、それでも笑顔で寄り添った。昨年のドバイターフでは写真判定の末に同着V。そしてサウジCでも猛追をしのいだ。笑って喜ぶはずが「年がいもなく涙腺が崩壊した」。砂漠からの乾いた風に吹かれながら、両手で顔を覆って大泣きした。

愛馬は日本のみならず世界にも名をはせるスピードスターとなった。そのぬくもりを感じながら「こんなに楽しい仕事はない」と幸せをかみしめる。次はドバイへ。大団円はまだまだ続く。【中央競馬担当=太田尚樹】