馬主であるキャロットファームの秋田社長(75)はスルーセブンシーズの凱旋門賞参戦に1つの条件を出していた。宝塚記念でイクイノックスと勝負になるか-。遠征費の補助のない渡仏(※)。諸経費込みで総額は3000万円近くにもなる。上位好走は費用捻出の意味もあるが、欧州随一のレースは気軽に行けるものではない。

宝塚記念の結果は2着。内から世界王者を強襲していた。「5歳になって心身が変わってきました。今年1、1、2着はほぼパーフェクト。じゃあ行こう、と」。G1未勝利でも、行かせる価値がある。以前より頭を巡らせていた。凱旋門賞を勝てる馬は、と。現場サイドの猛プッシュを受け入れたのは、腹案に合致する馬だからでもあった。

傾向と経験をすり合わせて、いくつかの仮説を立てていた。元ノーザンファーム場長でもある秋田社長は「馬体重490キロ以上の馬は勝っていないんですよね。力がある馬はいいと思っていたけど、重い馬は脚がズボッと馬場に入る。不利なんじゃないか、と。過去10年で牝馬が6勝なのは重量もあるけど、体格によるものが大きいのでは」と話す。馬格に加え、精神力も通じるものがある。「やっぱりステイの血ですよ」。

秋田社長 精神的な弱さ、繊細さが5歳になって安定してきました。中山牝馬Sを勝って、その勝ち方が強かったですから。差し脚には強烈な印象が残っています。ドリームジャーニーの子らしく、中山巧者。(ドリームジャーニーの全弟の)オルフェーヴルも2回連続で有馬記念を勝っていますし。後ろにいながら加速しつつ3、4角を回ることができる。ラスト2ハロンだけではない、ゴールまでぐーんと伸びる脚を持った馬です。また、(同産駒の)ナカヤマフェスタは悪い馬場でありながら、勝ったかと思わせるレースをしてくれました。ステイの子どもは根性がある。経験上、牝馬の方が道悪でも頑張ってくれる。我慢してくれる。そういったことも背景にあります。

父ドリームジャーニーの父ステイゴールドは10年2着ナカヤマフェスタ、12、13年2着のオルフェーヴルを輩出。最後まで諦めない気持ちの強さを競馬で出せる馬を連れていきたかった。直前まで帯同馬不在では遠征断念の心づもりでいたが、メンタルの成長を感じてフランスへ送り出した。

秋田社長 いかに精神状態を保てるか、その1点だと思います。放牧先のノーザンファーム天栄で馬を見て、触りましたが、筋肉の量、質とも他の馬にはないものを持っている。見た目は硬そうなんですけど、触ると柔らかい。改めて宝塚記念で走ったのはフロックではなかったのだと思いました。こちらが思っているより順調にきています。成長もこちらが思っているより先にいっています。適性のある馬を適性のあるところで競馬をさせる。これは(21年ブリーダーズCディスタフを勝った)マルシュロレーヌで学んだことです。

今から37年前。ダンシングブレーヴが勝った86年凱旋門賞を現地で見た。「あの時が2回目だったかな。他の馬が4角を回るときに、シリウスシンボリ(14着)は3角にいたんだ」。向こう30年は日本馬が勝負にならないと思うほど、ショックを受けた。「勝てる馬をつくってみたい。それが夢だったんですよ」。先月、ナカヤマフェスタに加え、99年2着馬エルコンドルパサーを管理した二ノ宮敬宇元調教師に電話でその経験を伝授してもらい、チームにも先人の教えを共有した。日本馬のべ34頭目の挑戦。今や手の届く目標だと信じている。

◆秋田博章(あきた・ひろあき)1948年(昭23)2月25日、北海道新冠町生まれ。静内高、岩手大学を卒業後、72年に日高地区の農業共済組合で獣医師となる。80年に旧社台ファーム入社。93年にノーザンファームの場長に就任。13年に同顧問へ。15年から(株)キャロットクラブ取締役となり、18年12月に(有)キャロットファーム社長就任。

※凱旋門賞出走馬に対するJRAの協力金 当該競走実施日前日までにパート1のG1競走で優勝したことのある馬(2歳戦除く)には500万円が交付される。G1勝ちがないため、スルーセブンシーズには交付されない。また、凱旋門賞に出走し同年のジャパンCまたは有馬記念に出走した馬には1000万円が交付される。