今度こそ日本競馬界の悲願達成なるか-。欧州最高峰レース凱旋門賞(G1、芝2400メートル、5日)が今週末に迫った。日本馬の初挑戦から半世紀以上。幾多のスターホースが花の都に散った。連載「凱旋門賞回想録」では、過去に現地で6度の取材経験を持つ太田尚樹記者が思い出のレースを振り返る。

 

【第1回=12年2着オルフェーヴル】

僕のスマートフォンには今も、13年前のロンシャン競馬場(現パリロンシャン競馬場)で撮影したレース動画が残っている。残念ながら権利の問題があるため、SNSなどで公開したことはない。

毎年、10月1週目が近づくと、その映像を見返したくなる。

緊張で手が震えていたのか、画面は小刻みにブレている。凱旋門賞を現地で取材したのは、あの年が初めてだった。

フォルスストレートを抜けた最後の直線533メートル。くすんだ曇り空の下で、大外から黄金色に輝く3冠馬が突き抜けてきた。

「強(つ)えぇ、強えぇ…」

地元欧州の猛者たちを瞬く間に抜き去った豪脚に、僕は感嘆の声を上げていた。もはや圧勝を確信していた。

その十数秒後、動画は激しく揺れだし、僕は「粘れっ!」と連呼し始めた。しかし…。

「あかん…」

力ない言葉とともに、映像は終わっている。

そんなことってあるのか。しかも、世界最高峰の大一番で…。人生で競馬を見て悔し涙が出たのは、この1度だけだ。

競馬ファンのほとんどがご存じの通り、先頭に立って標的を失ったオルフェーヴルは、内へよれながら失速した。最後はラチに激突して、ゴールの数メートル手前で伏兵の牝馬ソレミアに差された。

生まれて初めて悔し泣きしたのは、鞍上のクリストフ・スミヨン騎手も同じだった。

「あんなに早く先頭に立てるとは…。目標がなくなってしまった」

失意のレースを終えた夜。レストランで家族とテーブルを囲みながら、みんなで涙を流したという。

「今まで乗った中でベストの馬だ」と評した。だからこそ、勝たなければならなかった。

幼少期から凱旋門賞制覇を夢見てきた池江師もまた、同じ日の夜にホテルで瞳をぬらしたという。悔やんでも、悔やみきれなかった。

大一番の直前に、口から出かかった言葉をのみ込んだ。

「早めに抜け出さないようにしてほしい」

スミヨン騎手へ指示すべきかどうか。判断は難しかった。前夜の雨によって馬場状態は10段階で下から3番目の「コラン」。日本とは異次元の道悪で、持ち前の末脚を発揮できる保証はなかった。

「言おうとしたけど、あの馬場だったし届かなかったら最悪だから」

脚を余す敗戦だけは避けたかったのだ。その胸中は察するに余りある。

時はもう戻らない。「たられば」は禁句だ。でも…。

あれから13年。翌13年も連対したオルフェーヴルを最後に、凱旋門賞で3着以内に入った日本馬はいない。

今年もまた、あの時の動画を見直した。あらためて彼の偉大さを実感する。

いつか誰かが日本の悲願をかなえるだろう。それは今年かもしれない。可能性は十分に感じる。ただ、そうなったとしても、あの衝撃はいつまでも忘れられそうにない。