3歳馬の頂点を決めるダービー(G1、芝2400メートル、31日=東京)にリアライズシリウス(牡、手塚久)とのコンビで挑む津村明秀騎手(40=フリー)が本紙のロングインタビューに応えた。
人気の一角で挑むダービーへの思い、今年の好調ぶりについて、愛する家族への思いなどを熱く語った。また、少年時代やデビュー当時の思い出、10年に第2頸椎(けいつい)骨折の重傷を負った時の様子、川田将雅騎手をはじめとする同期の存在、デビュー当初の葛藤など過去の出来事も振り返った。
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-競馬が好きになったきっかけ、ジョッキーを目指したきっかけは?
津村 父が競馬が大好きで小学1年生の頃から競馬場には連れて行ってもらっていました。小学4年の頃、ナリタブライアンが勝った(94年)有馬記念をテレビで見て衝撃を受けました。そのときの歓声はテレビ越しでもすごかったしそこでジョッキーになりたいと思いました。ビビッときましたね。すぐに5年生から中山競馬場のスポーツ少年団で乗馬を始めました。小学1、2年は野球、3、4年はサッカーをやっていたけど小学校を卒業した後もこれだけは続けられました。中学時代の夏休みは月曜日以外毎日馬に乗っていました。毎日楽しかったですよ。寝わら作業も楽しかった。この世界に導いてくれた父親に感謝ですね。
-少年時代の津村騎手はどんな子どもだった?
津村 割と友達もすぐに作れて誰とでも親しめるタイプの子どもでした。ダービーというすごいレースがあるのも小学4、5年から知っていました。初めて見たダービーもナリタブライアンでした。レンタルビデオ店で名馬列伝みたいなものを自分で映像を見つけて探していました。あの頃はまだ入場制限もないし、すごい人と歓声。ダービーの強さも強烈でしたよね。
-中学を卒業し、厳しい競馬学校の生活へ。思い出は?
津村 競馬学校で一番何が楽しみかというと週1回の外出なんです。日曜日に外出するとよく漫画喫茶に行って、その時学校生の中ではやっていたんです。そこでジュースをたくさん飲んだりして。ただ、体重制限があって500グラム以上増えてはいけない。帰ってきてからお風呂で絞ったり体重調整もしていました。普通の高校生って感じですよ。
-川田将雅騎手、藤岡佑介調教師をはじめとする同期の存在とは?今もYouTube撮影などで同期の20期生は仲のいい様子がうかがえます。
津村 やっぱり競馬学校ではきついことも嫌なときもありました。もちろん指導も厳しいし、先輩たちも教官も怖かった。ただ、同期がいたから一緒に切磋琢磨(せっさたくま)して頑張れた。大きな存在でしたね。今でもみんな頑張っている。言葉に出すことはないけど、刺激し合っている。あいつが頑張っているから頑張らないといけないなとかって思わせてくれますよ。
-学校時代か同期の中でも津村騎手の騎乗技術は1つ抜けていたという話をよく聞きます。
津村 そう言われるんだけど僕の中では絶対王者だとは思っていませんでした。みんなもうまいなと思っていた。丹内なんか未経験で入ってきてどんどんうまくなっていくのが分かった。逆にそういうのはうらやましかったです。みんなそう言ってくれるんだけど自分自身ではそこまで思ってなかったです。
-騎手としてデビューし、理想と現実のギャップはありましたか?
津村 理想と現実のギャップはかなりありました。2年目以降は思ったように結果がついてこない。勢いがつかず、悩みも葛藤もありました。ちょくちょくいろんな人に相談してみたけど打開するのは自分しかいませんから。苦しかったですね。
-デビュー5年目の2010年2月、落馬負傷により第2頸椎(けいつい)骨折の重症を負いました。
津村 今思えばあり得ないですね。自分の不注意でしたしあれくらいで落ちてはだめだったと思います。トイレも自分で行けず6週間寝たきりの生活は本当に大変でした。最初行った病院ではトイレも大丈夫と言われていたんですが。つくば記念病院でジョッキーをよく診ている先生にレントゲンを診てもらうと「絶対に動かさないで安静にしなさい」と言われてすぐに搬送されて、手術することになりました。そこで分かってよかったです。ずれてたら危なかったかもしれない。
-入院生活を振り返って?
寝たきりの入院生活はめちゃくちゃ辛かったし、手術して頭の骨を固定させるためにこめかみと後頭部に合わせて4箇所ボルトを入れて。麻酔から覚めると激痛に襲われてで死ぬくらいの痛さでした。寝返りも打てないし、骨がくっつくまではずっと同じ体勢でいないといけない。本当に復帰できて良かったです。
-苦しい経験もへて、ようやく初のG1タイトルをつかみ取ったのが24年テンハッピーローズで勝ったヴィクトリアマイルでした。
津村 時間はかかりましたけど、もちろんホッとしたのが一番だし、応援してくれた家族に届けられたのがうれしかったですね。ただ、20代で活躍してG1を間違えてポンポンと勝っていたら、今の僕はなかったかもしれない。それはそれで良かったのかなと思います。今まで積み重ねてきたものがあるからこそ、今があると思っています。どれが正解なのかは分からないけど、今の自分が正解だというふうにしていかないといけない。
-入院時は懸命にサポートした奥様の存在も大きかった。
津村 まだ結婚する前でしたけど東京から来てくれて、何から何まで支えてもらった。やっぱり一番ですよ。子どもも(2人)できて、3人が僕の中では一番大きな存在なので、家族のために頑張れているというのが大半を占めている。多分独身だったらこんなに頑張れていないと思う。
-改めて、今年好調の要因をどう捉えている?
津村 今年はうまくいっていますね。メインでも勝たせてもらって、今まで通りきているつもりだけど知らず知らずのうちにメンタルも変わってきているのかな。あと今年はタイム差なしで勝てているレースが多い(27勝中12勝)のは、一瞬一瞬の判断が間違っていなかったということ。そこは成長しているんだと思います
-およそ7年前からトレーニングにも取り組んで来た?
津村 19年頃に蛯名正義さんに「俺騎手やめて調教師になるからトレーニングをやらないか?」と言われて、蛯名さんをずっと見てきたトレーナーさんを紹介されてトレーニングをするようになりました。ジョッキーに必要な筋肉を徹底的に鍛えて、フォームを意識して乗るようになり、だいぶ変わってきましたね。そこから週1回ずっとやってきている。トレーニングする前と後では重心の感じが全然違う。変に無駄なところを使わなくなったし、いいところで乗れるようになっている。そこが身になってきたんだと思います。
-津村騎手と言えば誰もがうらやむ美しい騎乗姿勢。騎乗フォームへのこだわりは?
津村 骨盤の形が人と違うんです。だからジョッキーとしてはすごく恵まれた体形なんだと思います。体が柔らかいのもあるし、ストレッチも毎日やっている。常に柔軟性を持たせることは意識しています。
-参考にしているジョッキーはいますか?
津村 僕はアメリカンスタイルが好きでアメリカのジョッキーはめちゃくちゃ格好よくて参考にしています。ファビアン・プラだったり、オルティス・ジュニアだったりはよく見ています。やっぱり向こうのジョッキーは格好いいなと。自分に合ったスタイルを伸ばしながら改良してきました。やっぱりきれいに見せることは意識していますね。格好いいと思われたいし、画面に映るものなので『何あの人。きれいだな』と思ってもらえたらうれしいですからね。
-デビューからすべて手綱を取るリアライズシリウスと迎える大一番。今のお気持ちを。
津村 シリウスとはデビューからコンビを組んでいて、互いに信頼し合っている仲だと思っている。ずっと乗ってきて細かい変化もすぐに分かる。思った以上にいい成長を遂げてくれていて、よくここまできてくれたという気持ち。体も精神面もいい成長曲線を描いてくれている。一緒に挑めるのはうれしいです。
-オーナー、厩舎の期待も背負う。
津村 乗り替わりになることも少なくない時代。皐月賞で2着に負けてもチャンスをもらえているのでオーナー、先生には感謝しかないです。
-レースも目前に迫ってきた
津村 皐月賞が終わってからケガできない、騎乗停止になれないというのは意識してきたし『シリウス順調かな』とかふと考えたり、普段生活しててもダービーのことは頭の片隅にありますね。これまで味わったことのない感覚。味わえるのは幸せですね。毎週のようにプレッシャーを感じられる職業。今すごく騎手になってよかったと思っています。馬はすごくいい状態。自信を持っていけると思います。

