今年も今春に引退する調教師が語る「明日への伝言」を連載する。美浦の根本康広調教師(69)は1987年(昭62)のダービージョッキー。厩舎を開業してからは弟子の育成に力を注ぎ、5人の騎手をターフに送り出した。【取材・構成=岡山俊明】

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根本師のジョッキー時代はメリーナイスのダービー制覇などで華やかに彩られたが、デビューまでは騎手免許試験に3度落第して同期の背中を追った。

「下手くそだった。乗る馬乗る馬持っていかれて、抑え切れずに輪乗りから飛び出した時の不格好な写真が競馬週刊誌に掲載された。とてもダービーを取れる格好じゃないよ」。

ところが晴れて21歳で騎手になると、師匠である橋本輝雄師の後押しを受けて陽の当たる道を切り開いた。3年目の79年にバローネターフで中山大障害を春秋制覇。81年にはナカミショウグンで中山大障害・春を勝った。

「師匠は障害が好きで、厩舎に障害馬が6頭も7頭もいた。グランドナショナルにも挑戦したフジノオーを育てた人。だから厩舎実習に行ったその日から、東京競馬場で障害を飛ばされましたよ。ある時、縁あって矢野進厩舎のバローネターフを依頼された。それまで先輩騎手で大障害を3回勝っていたから、馬はコースを分かっている。私はただ邪魔しないように乗ってきただけ。障害は44戦しかしていないんですが、ナカミショウグンやオキノサコン(79年東京障害特別)でも大きなレースを勝たせてもらった。障害も好きでしたね」

85年天皇賞・秋では、大本命のシンボリルドルフを13番人気ギャロップダイナで破って男を上げた。

「バローネターフと同じ矢野進厩舎で、これも縁ですね。まだ条件馬だったし、前走乗った柴崎勇さんは他の馬が決まっていて、乗り役がいなかった。そこでオーナーの吉田善哉さんが“根本に乗せろ”と言ってくれた。矢野先生は、ケツにならないように1頭でも負かしてくれと言うから、4コーナーを回ってもじっとしていた。追い出して着ある、4着ある、3着あると思ってゴールに入ったら、ルドルフが左斜め後ろに見えた。うそ~と思って前を見たら何もいない。だって勝てると思わないじゃん。ルドルフだよ。だから手を上げるの、遅かったんだよね。場内がシーンとした。条件馬でダート馬と思われていた馬が負かしちゃったんだから。一番の勝因は、最初は出走の予定がなかったのに善哉さんが(中1週で)出せと言ったこと」

ダービー制覇は31歳の時。2着に6馬身差をつけた。ダービーに騎乗した5回は全て自厩舎の馬を託され、3度掲示板に載った(81年ハシノエース4着、82年アカネジローマル5着)。

「師匠が引退したら、自分はダービーに乗れるような騎手じゃない。最後になるかなと思って、勝ちにいきました。スタートからゴールまで思い通りに運んだ。師匠は大きなレースを私に任せてくれて、かわいがってくれましたね」。

輝かしい戦歴の一方で、レインボーアカサカの大出遅れ(札幌記念)やメリーナイスのスタート直後の落馬(有馬記念)などで非難を浴びたことも。「大変ですよ、も~。でもそれも人生」。そう笑い飛ばせる生来の明るさで、ホースマン人生を駆け抜けてきた。(後編へつづく)

◆根本康広(ねもと・やすひろ)1956年(昭31)1月31日、東京都生まれ。77年に21歳で橋本輝雄厩舎から騎手デビュー。79年中山大障害春・秋(バローネターフ)、81年中山大障害・春(ナカミショウグン)、85年天皇賞・秋(ギャロプダイナ)、朝日杯3歳S&86年ダービー(メリーナイス)など2633戦235勝(うち重賞13勝)。97年騎手引退、98年に厩舎開業してJRA6387戦217勝(1月19日現在)。88年公開の映画「優駿ORACION」に奈良五郎騎手役で出演。

【後編】はこちら――>>「環境も考え方も違う」弟子育てた根本康広調教師のホースマン人生