博多の町から「鉄腕」が去って、もう13年の時が過ぎようとしている。プロ野球・西鉄ライオンズの往年の大投手で「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた稲尾和久は、新型コロナウイルス禍に沈む今季の球界を天国からどう見ているだろうか。亡くなるまで日刊スポーツ評論家としても健筆を振るい、優しく、そして時には厳しくホークスを見守っていた。
「顔に耳を近づけると『ありがとう』とささやくような声でした」。最期をみとった律子夫人も、それから5年後の春、12年4月21日。新緑の風に誘われるように、最愛の夫の元へ旅立った。福岡市内の稲尾の自宅も、今はもう、ない。4人の娘さんはそれぞれ嫁いでおり、「鉄腕」を継ぐ「稲尾家」は福岡から姿を消した。今は夫婦仲良く、ペイペイドームにほど近い寺の墓に眠っている。
名前はなくなったが、偉業は色あせない。「野球がないとつまらんなあ」。いつもオフシーズンになると、稲尾さんは退屈そうにそう話していた。まだまだ先の見えない今季。球音の響かない日に焦燥感も募るが、こんな時だからこそ「歴史」に目を向けるのもいいのかもしれない。
東京五輪に列島が沸いた1964年(昭39)シーズンは、稲尾にとって絶望的な年だった。入団から8年で234勝を積み上げていた右腕が、0勝に終わった。右肩痛に悩まされ、五輪期間中は大分の温泉地でリハビリに明け暮れた。「オリンピックの思い出なんかないんだなあ」。稲尾の述懐だった。翌65年は13勝を挙げ、復活した。
鉄腕にも、耐える時があった。今は球界も、忍耐の日々を送るしかない。【ソフトバンク担当 佐竹英治】




