ソフトバンクが27日、3年ぶり19度目のリーグ優勝を果たした。

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「敗者」でありながら「勝者」となった何とも複雑な2年間の思いにようやくピリオドを打った。工藤ホークスが3年ぶりのリーグ制覇を成し遂げた。西武に2年連続して戴冠を許し、クライマックスシリーズで撃破。2度の下克上で3年連続の日本一まで上り詰めたが、喜びと同時に澱(おり)のように心にいつもむなしさは残っていた。

人類が経験したことのない「コロナ禍」はプロ野球界も襲った。春季キャンプを終え、心も体もボルテージが高まりつつある中で不気味な新型ウイルスの猛威にさらされた。3月の開幕が6月にずれ込み、観客のいないスタンドから球音は戻った。調整の難しさもあったろう。それでもホークスは下馬評通りペナントレースを制した。

苦境を力に変えた。象徴的だったのは今季から選手会長としてチームのまとめ役となった中村晃の存在だ。昨年から悩まされている自律神経失調症に加え、両膝の痛みも襲った。5月には体調不良による倦怠(けんたい)感もあった。6月開幕どころか、心も折れかけた。リハビリと2軍調整を終え、何とか7月11日に1軍昇格した。対応力の高い打撃は波に乗れずにいたチームを救った。体調は万全ではない。納得いくプレーができている確信もない。それでもバットを振り、ボールを追った。7月17日のオリックス戦(京セラドーム大阪)から20試合連続で「4番」に座った。プロ初体験の打順も中村晃のバットがチーム浮上の大きなきっかけとなった。20試合で12勝8敗。それまで貯金「1」だったチームが、4番中村晃で首位に立った。先発4番で打率3割2分。その後は1日だけ3位に落ちた以外、トップの座を明け渡すことなくゴールテープを切った。

仕事は多岐にわたった。先発打順は1番、2番、3番、4番、5番、6番で起用。守備も一塁、左翼、右翼、そしてDHとめまぐるしかったが、すべてにおいて適応した。シーズンを振り返って中村晃は言った。

「今年は膝をケガしたときに、体調も悪いこともあって野球を辞めようかと考えました」

体調はシーズン中も万全ではない。眠れない夜も続き、肉体的な疲労は蓄積した。入団時から世話になった川村隆史コンディショニング担当の急逝は、悲しみとともに、自らの奮起とした。「これからは川村さんの分もしっかり生きていきます」。寡黙な男の決意通り、バットでも背中でもチームを引っ張った。個人的にはこの男にMVPを贈りたい。

ソフトバンク対ロッテ 5回裏ソフトバンク1死三塁、左犠飛を放つ中村晃(撮影・菊川光一)
ソフトバンク対ロッテ 5回裏ソフトバンク1死三塁、左犠飛を放つ中村晃(撮影・菊川光一)