5月に現役を引退した上原浩治投手(44)の「外せない試合」を振り返る。第1回は20年前、巨人1年目の転機。

99年2月、春季キャンプで投げる巨人上原
99年2月、春季キャンプで投げる巨人上原

一生涯、忘れられない1球がある。

上原の代名詞といえば、自由自在に操れるフォークボール。しかし、その1球は、プロ入り後もほとんど投げていないナックルカーブ。プロのデビュー戦となる99年(平11)4月4日の阪神戦(東京ドーム)。2-2の同点で迎えた7回1死三塁、打席にベテランの佐々木誠を迎えて投げたナックルカーブだった。打球は右中間フェンスにワンバウンドでぶつかった。デビュー戦の黒星を決めた二塁打になった。

負けたという事実より重い、課題が浮かび上がった。ほとんど投げない球種で痛打を浴び「サインにクビを振ろうか迷った。悔いは残ります」と試合後にコメントした。しかし、佐々木にはファウルなどで9球も粘られ、投げる球種がなくなった結果の選択だった。バッテリーを組んだ捕手の村田真一からは「球種が少ない。あの球(ナックルカーブ)は使えん」とダメだしされていた。

巨人にドラフト1位で入団した上原は、高速スライダーを武器にする即戦力投手として期待が高かった。デビュー戦は6回2/3で4失点ながら、自責点は2。評価が落ちることもなく、その後は勝ち星を積み重ねた。精密な制球力を持つキレのいい直球を主体に、ルーキーで20勝4敗という驚異的な成績をマーク。投手のタイトルを総ナメした。

しかし、上原自身は満足していない。「球種を増やさないとダメ」というデビュー戦で味わった屈辱は、忘れていなかった。

新しい武器の候補になったのは「ときたま投げるフォークボール」だった。ただ、ど真ん中を狙って投げるだけで、どこへ決まるか本人さえ分からなかった。チームメートでフォークを駆使した槙原ら、他チームでもフォークを投げる投手を質問攻めにした。「でも、変化球は自分の感覚が大事。いろいろと試しながらやっていた」と振り返る。

ストライクゾーンからボールゾーンに落ち、空振りを狙うフォーク。高めのボールゾーンからストライクゾーンへカウントを取りにいくフォーク。ここまではフォークを駆使する投手なら使いこなせるが、落ちる軌道も左右に自在に操れるように試行錯誤を続けた。

「難しいのは右打者の外角に逃げるように落ちるフォーク。使いこなせるようになったら、スライダーの投げ方を忘れてしまった」と笑って振り返るが、フォークがあれば、スライダーは必要なくなった。「完全にものにするまで、丸4年かかった」という02年は17勝をマーク。2年目と3年目はケガにも苦しんだが、5年目にも16勝を挙げて球界を代表するエースに成長した。

20勝をマークしても、デビュー戦での1球を忘れなかった。どんな環境でも向上心を持ち続ける上原だからこそマスターできた“伝家の宝刀”だった。(敬称略=つづく)【小島信行】