5月に現役を引退した上原浩治投手(44)の「外せない試合」を振り返る。

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どうして国際試合に強いの? 「自分のフォームと硬いマウンドがマッチしていた」と答えた上原は、もう1つ意外なことを加えた。「後はロジンバッグを使わないこと。アンダーシャツは絶対に長袖。夏でもね」。

国際試合で使うボールは、ロジンバッグを使うほど逆に滑るという。汗かきな体質で、半袖だと吸収できない汗が手のひらに垂れてきて、制御に支障が出るという。「長袖で汗を吸うでしょ。で、手は適度にしっとりしている。この状態がいい。国際試合では指先の感覚が特に大事」。

じゃあ、フォークボールはどうやってコントロールするの? 「高めならちょっと高く、低めならちょっと低く投げるのよ。キャッチャーのマスクのラインとか、的を決めてさ」…凡人には理解しがたい大胆と繊細を両立させて、無敗のまま投げきった。

07年12月2日、北京五輪アジア予選の韓国戦。1点リードの9回に登板した。

マウンドに向かう直前に台湾の現地ボールボーイと談笑。1番から二飛、空振り三振、一飛と抑えた。直球で押してからフォークに微妙な高低差をつけて、軽々とずらした12球。

メンバーには若きダルビッシュ有らもいた。投手陣をまとめようと、神戸での自主練習中に食事会を開くことにした。宿舎は神戸市営地下鉄の終点、西神中央駅の前にあった。近くで集まれる場所はチェーンの居酒屋しかなかった。下見して、自ら電話をかけて予約を入れた。

五輪を決め依頼した手記に、こうつづられていた。

「初対面で構えていれば、周囲はもっと構えてしまう。お酒をついで回り、たくさん飲んだ。始まって2時間くらいで後は覚えていない。翌朝目が覚めたら、洗面所の天井と水道パイプが目に飛び込み、何のことかも分からず驚いた。もともと飲む方ではないが、記憶にないほど久しぶりの経験だった」

仲間たちは力を合わせ、完全に脱力した上原を運んだ。一斉に「みんなで担いだんです。めちゃくちゃ重かったですよ」と突っ込まれ、照れくさそうに笑っていた。

手記の冒頭には素直な気持ちが光っていた。

「大好きな日の丸のユニホームを着て、歓喜の瞬間にまた加わることができた。1点差の9回裏を抑えた12球は、ずっと忘れない。球場で、テレビでごらんになった方々と気持ちを共有できていたら、野球人、日本人として幸せです」

星野監督に「任せたぞ」と投手キャプテンに指名され、グラウンド内外で全うした。くぐり抜けた幾多の修羅場の中でも、12年前の初冬にはひとしおの思い入れがあった。孤高と片付けてしまえばそれまでだが、長く巨人のエースに君臨していた上原にとって、国際試合とは自分を解放できる特別な場所でもあった。(敬称略=つづく)【宮下敬至】