野球の国から

顔の高さばかりでは…苦労した巨人越智大祐との日々

<小谷の指導論 ~ 放浪編7>

昨季まで巨人の投手コーチを務めた小谷正勝氏(74)が哲学を語る不定期連載。昨年、がんの治療で入院中に読み込んだ本からインスピレーションを受ける。

07年9月、中日とのファーム日本選手権で登板する巨人越智
07年9月、中日とのファーム日本選手権で登板する巨人越智

放浪の俳人、種田山頭火はときに旅の足を止め、人生訓めいた句を詠んだ。

弱者とは何ぞや-

自ら欺かなくて生き得ない人々である。

個性が強く、プライドの高いプロ野球選手に当てはめると、響く1句だ。

40年間のコーチ人生で数々の個性と出会った。中でも越智大祐との日々は忘れられない。苦労した3本の指に入る中の1人だったが、指導を信じ、大きく伸びてくれた。今も感謝の気持ちがある。

早大から05年の大学・社会人ドラフト4巡目で巨人に入団。典型的なパワーピッチャーだった。最初は投球の8割が顔の高さにしかいかなかった。投球スタイル同様、性格も一本気。納得いかない意見には耳を傾けない節があった。

大卒2年目となれば、投球の型と考え方はほぼ固まっている。扱いが難しい選手と見られがちだったが、自分の見立ては違った。身体的特徴、投手としての特徴。性格も含め、地頭に優れ己をよく理解していると見ていた。思っているままをハッキリ伝えれば、真意を理解して劇的に改善するのでは…と考えた。

ファームでくすぶる2年目の彼に「いくら速い球を投げても、顔の高さばかりでは打者は振らない。このままでは、秋には自由契約になるだろう。しかし、顔の高さの球がアウトローとは言わないまでも、ストライクの低め近辺にいくようになれば、1億円を稼げる投手になれる」と伝えた。

ボールが顔の高さにいく理由は分かっていた。リリースの瞬間、インパクトの時に右腕の振り込みが全て右打者のインハイに方向付けされ、アウトロー近辺に方向付けがされていなかった。本人も分かっていたのだろう。真剣に聞き入る態度に接しコーチ人生をかけた挑戦に入ろうと決めた。

ルーツをさかのぼって考えた。越智は生粋の投手ではなかった。

愛媛の新田高時代、捕手から内野手を経て、投手に転向していた。一般的な投手は軸が平行移動する際の推進力、体の各関節のねじりを利用して強いボールを投げる。しかし越智には、そんなオーソドックスな型は体に染み付いていない。ルーツに従って、軸の平行移動ではなく、慣れた上下の移動を意識させればいいのではないか。上下の移動に腕を合わせていくよう、指導の順序を決めた。

低めに投げるには、どうすればいいのか。他の投手とは全く違う方法でアプローチした。ブルペン投球の際、踏み込む左足の前に投球するよう指示した。最初は左足の50センチ前にラインを引き「そこに真上からボールを投げるイメージで」と目標を設定。徐々に距離を伸ばし、刷り込みを続けた。マウンドの傾斜を利用した「落ちる力」をつかむコツを覚えるために徹底的に投げ込み、最終的に正規の18・44メートルに届いた。

越智は一切文句を言わず、根気のいる作業をやり遂げた。個性と向き合い、人格を理解し、重たいよろいを脱がせてあげる。コーチの大切な仕事だ。個性は武器となり、欠点にもなる。自分流を通すのもいいが、役に立たない自分流は意味をなさない。弱みを認め素直に受け入れることは、人間が成長する上で大切だ。

小谷正勝氏
小谷正勝氏

現役の終盤は黄色靱帯(じんたい)骨化症との闘いで、思い描いたような長い野球人生ではなかったかもしれない。ただ、闘志あふれる姿と剛速球をファンの心に刻み、巨人のリーグ3連覇に大きく貢献した事実は疑いようもない。1軍の舞台に立って輝きを放ち、錦を飾る。それは幸せな野球人生であり、活躍の一助となれたのであれば、指導者にとっても幸せなことである。(つづく)

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から昨季まで、再び巨人で投手コーチ。

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