野球の国から

バッティングで投球のコツつかんだヤクルト石井弘寿

<小谷の指導論 ~ 放浪編8>

昨季まで巨人の投手コーチを務めた小谷正勝氏(74)が哲学を語る不定期連載。昨年、がんの治療で入院中に読み込んだ本からインスピレーションを受ける。

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俳人の種田山頭火(以下山頭火)は、季語やリズムにとらわれないで「自由律俳句」を詠んだ。

放浪をしながら、ときに世間からはみ出したように見えても、後世に残る句、随筆を書き残せた。強烈な個性は強みと弱み、表裏一体の両面を持っている。表が出れば、まばゆい輝きを放つ。

02年7月、オールスターに監督推薦で選出されたヤクルト五十嵐亮太(左)と石井弘寿は握手する
02年7月、オールスターに監督推薦で選出されたヤクルト五十嵐亮太(左)と石井弘寿は握手する

投手という職業も同じだと思う。携わった中でも苦労した3本の指に入る投手として、越智大祐に続いて石井弘寿(現ヤクルト1軍投手コーチ)の名前も挙げたい。長くプロの世界に身を置いてきたが、特別な個性を持った1人だった。

タイプは剛速球の左腕。ものすごい真っすぐを放るが、とにかくコントロールがバラバラ。ストライクを取るのに非常に苦労した。この手は多いが、直球の力と制球の悪さが、両極で振り切っていたのだ。

今でも鮮明に覚えている。95年のドラフト4位でヤクルトに入団した彼と最初に会話したのは、宮崎・西都キャンプのブルペンだった。江夏豊の再来を感じさせる強靱(きょうじん)な体つきが第一印象。しかし、いくら150キロを超える剛速球を投げても、ストライクが入らなければゲームにならない。

同じタイプに、のちに「ロケットボーイズ」と呼ばれ、今もヤクルトで活躍する五十嵐亮太がいる。ただ、五十嵐のぶれは高低だけだった。石井の場合、高低、左右ともに大きくぶれた。アドバイスをするのが難しく、じっと彼の練習する姿を見ることにした。守備から打撃練習と見ていて、あっと驚かされた。守備と打撃のセンスは、「野手転向してもレギュラーを取れるのでは」と思うほど。この動きができて、ピッチングがはまってこないはずがない。

当時の八重樫幸雄2軍監督に「バッティング練習をやらせてもいいですか」とお願いした。今思えば、よく「いいですよ」と言ってくれたと思う。秋季キャンプの夜間練習で、マシンを打つことに専念させた。このメニューが失敗すれば当然クビ。言われなくとも辞表を出すつもりでいた。

下半身主導で、体に巻き付くようにバットが出る理想的な体の使い方をしているのに、投げる段になると腕力に頼り、それでも上半身の力だけで150キロを投げた。打撃の時のような体の使い方ができれば、投球も良くなるのは明白だった。

石井自身、打つことが大好きで前向きにこなしてくれた。

人間、好きなことをやらせれば一生懸命やる。センスのある人は、その中で体の使い方の感覚をつかんでいく。石井は打つ練習を続けるうちに、無意識のうちに投げるコツをつかんだ。持論だが、野球はレベルが上がれば上がるほど、いかに下半身の動きを上半身に連動させるかが大事になる。思わぬところにヒントが隠されていた。注意すべきは、余分なことは言わないこと。「バッティングの時のように下を使って」などと言えば、意識をしすぎて、うまくいかなくなる。

個性について、山頭火はこう記している。

まことの個性は地獄の竃から焼き出される、地獄の火を潜った個性でなければまことの熱がない。

地獄とは、苦しみや苦悩と言い換えられるのだろうか。個性が強ければ強いほど、人よりも飛び抜ける可能性は高まる。その個性をプラスに転換できた時、超のつく一流へと近づく。

プロの世界を生き抜くのは本当に難しい。今も「あの時、こうしていればどうなったのだろうか」と考えることがある。(つづく)

◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石市生まれ。国学院大から67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテで指導。17年から昨季まで、再び巨人で投手コーチ。

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