野球の国から

“心の教育”若生イズムで目覚めた「戦う集団」

<名伯楽 若生監督に聞く(2)>

3月で埼玉栄の野球部総監督を退いた若生正広氏(69)。母校東北(宮城)の監督の退任後を追った。

仙台に戻り教え子が監督を務める東北福祉仙台北リトルシニアを訪れ笑顔の若生正広氏
仙台に戻り教え子が監督を務める東北福祉仙台北リトルシニアを訪れ笑顔の若生正広氏

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05年、九州国際大付(福岡)の監督に就任したが、最初はなかなか受け入れられなかった。学校に「早く帰れ!」などと投書が届いたこともある。「最初の年は勝てる戦力がなかった」。原点に返り、一からチーム作りに取り組んだ。

「まずは野球の基本。グラウンド整備から教えましたよ」。全力疾走にあいさつ、技術も基本から教えた。「まずはトレーニングで運動能力をつける。股関節を柔らかくね。そうすれば守備範囲が広くなるし、足も速くなる」。東北では新チームのスタートは腹筋3000回が恒例。私生活も技術も、基本を徹底。東北流を貫いた。次第に九州の中学指導者にうわさが広まり、力のある選手が集まった。09年夏に甲子園に出場すると、以後10年間で春夏3度の出場。11年センバツで準優勝に導くと、応援の声が寄せられるようになる。「今でも九州は楽しかったなぁと思いだすよ」と、思い出深い土地になった。

一方、東北は、教え子の五十嵐征彦氏(44=現校長)、我妻敏氏(38=現東北職員)へと引き継がれた(現在はOBの富沢清徳監督)。我妻氏は「野球以外の規律、しつけは若生先生の教えを引き継ぎました」と振り返る。

「若生イズム」の大切さを実感したことがある。11年、東日本大震災の時だった。その年のセンバツに出場。大会後も仙台は復興には程遠く、約10日間、練習を休みにしてボランティアに出かけた。家の泥をかき出す作業から荷物の整理、選手たちは嫌な顔ひとつせず、初対面の人にも丁寧に接した。そして心からの「ありがとう」の言葉を受け取った。我妻氏は「これが野球を通じた人間形成、社会に出て通用する人間だと思った。それはプレーにも通じるんです」という。守備でのカバリング、打てなかった次の打者が打つ。「野球も私生活も自分次第でできることは絶対に100%やりきる、という目標を掲げてきました。それは若生先生から教わった野球ですから」。イズムは確実に引き継がれていた。

しかし、恩師の目は厳しい。若生氏は「勝つためには心の教育が大事。でも、負けたらダメ。そこを基本に戦う集団作りをしなければ」という。とことん追い込み厳しさを体で覚える。今の時代、古い野球かもしれない。耐えてこそ、体の中に強い精神力が宿り勝負強さが生まれる。「今はそこまでやると問題になっちゃうけど、厳しく練習するしかない」。心の教育の上に築かれた力強い野球。それが目指した野球だった。

我妻氏には今でも忘れられない言葉がある。震災直後のセンバツで若生氏と再会した。「敏、いいか。来たからには震災は関係ないぞ。勝負だ。絶対に同情されるようなことをグラウンドでは見せるなよ」。厳しい言葉が「戦う集団」を目覚めさせた。大差がついても粘り強く戦う姿に大歓声が湧いた。その大会で九州国際大付は準優勝。東北出身の2人の指導者が被災地に元気を届けた甲子園だった。(つづく)【保坂淑子】

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