すみません。またまたさぼってしまい10日ぶりの更新です。

 【16日】

 県営大宮球場へ。

 第1試合は大宮東-鷲宮。大宮東が4-1で勝った。

 大宮東には大会直前に事前取材でおじゃました。河西竜太監督(44)は同校OB。甲子園にも出場した。その後中大に進学し準硬式野球部でプレー。卒業後は家業の居酒屋を継ごうと思っていたが、4年生の6月に教育実習で訪れた母校の練習を手伝い感銘。一念発起し「学校の先生になろう。高校生を指導したい」。しかし教員採用試験になかなか合格できず5年かかった。その間、非常勤講師で上尾や上尾橘に勤務。念願かない初めて赴任したのが和光だった。部員はわずか4人。練習初日、母校・大宮東流のあいさつの仕方などを教えたところ、半日で3人が辞め1人しかいなくなった。翌年、新入生が入部し10人に。年間120試合練習試合をして2試合しか勝てなかったという。

 「やんちゃな生徒が多くて、まるでルーキーズ(高校野球ドラマ)のようでした」。その後次第に部員が増え始め4年目でベスト16入り。最後は浦和学院に1-8で敗れたが、新チームになると、その時の1年生5人、2年生3人のメンバーを中心に「打倒浦学」に燃えた。「甲子園に行きたいんじゃなくて、浦学を倒したい。それが彼らのモチベーションでした」。翌年夏の抽選会。なんと初戦で浦和学院のくじを引き当てた。7回2死まで2-1でリード。その後同点に追いつかれ8回に逆転されたが、9回の攻撃で2死満塁まで攻め浦和学院をあわてさせたという。

 そんな熱血監督が母校・大宮東に戻って4年目。「これまでで最高のチーム。手応えはあります」。

 この日の試合は2-1のまま終盤へ。7回裏1死三塁と追加点のチャンスを得た。ここで河西監督は攻撃のタイムを取る。打者と三塁走者を呼び寄せ「相手にスクイズのサインがばれている。だから、全球スクイズのサインを出すから、それは無視して打て」。すると相手バッテリーはスクイズ警戒でストレートの四球。一、三塁と好機が広がると再び攻撃のタイム。打者と2人の走者を呼び寄せ「スクイズ、エンドラン、盗塁やいろんなサインを出しまくるけど無視して打っていい。ゴロが転がったら三塁走者は突っ込め」。3番打者がボテボテの遊ゴロを打って貴重な3点目をゲットした。その後1点を加え4-1。試合は決まった。

 試合後、同監督を取材すると「4回にスクイズを外されて失敗した。あそこでスクイズのサインが見破られていると確信した」という。それを逆手に取って奪った2得点。「ナイスゲームでしたね」と声をかけると河西監督は照れくさそうに笑った。

 第2試合は春日部共栄-熊谷西。春日部共栄が8-1、7回コールドで勝った。

 試合中に三塁側の春日部共栄応援席を取材。東大志望の秀才4番打者、山本大貴内野手のご両親にあいさつ。お母さんが大変明るい方で、ついつい話がはずんでしまった。さらにお笑い芸人のレッド吉田さんも取材。次男・塁君がこの春、春日部共栄に入学。野球部に入った。「夏の応援は今日が初めて。応援の仕方が分かりました。甲子園にも行きたいですね」。レッド吉田さんもかつては高校球児。東山(京都)で甲子園にも出場した。「人生の経験値が上がりました」という。1年生の息子さんは今夏ベンチ入りできなかったが、まだまだこれから。お父さんは、父母らに配る飲み物に入れる「氷係り」を担当。忙しい合間だったが、快く取材に応じてくれました。

 【17日】

 県営大宮球場へ。

 第3試合で花咲徳栄が武蔵越生を8-2で破った。試合後、岩井監督を取材すると最後に監督自ら切り出した。

 「昨晩は遅くまで大変だったんですよ。西川のユニホームがなくなっちゃって、大騒ぎになった。一昨日(15日)脱衣所に干してあったものがなくなった。(1年生)部員に聞いたら『知らないおじさんが脱衣所にいた』って言うんですよ」。

 プロ注目、西川愛也外野手(3年)の背番号7のユニホームが「知らないおじさん」に盗まれた!? これは大ニュース。西川外野手はこの試合でランニング本塁打を放つなど大活躍。この日は背番号「17」の「7」を切り抜いて背中に縫い付けた「急造ユニホーム」で出場していたのだ。デスクに報告すると「60行お願いします」とのこと。記者席に戻り原稿を打ち始めたが、高野連の先生から「あと10分で記者席を閉めます」と非情の通告。仕方がないので写真だけ送稿して、球場を出た。すでに時計は午後7時を回っている。締め切りまであと1時間ちょっと。焦る。

 どこで原稿を書こうか。とりあえず大宮駅方向に徒歩で向かう。氷川神社の参道を通り抜けると中華料理店があったことを思い出した。数日前に1度寄って食事をした。初老のおやじさんが1人で切り盛りする、カウンターとテーブル席が3つだけという昔ながらの小さなお店。店内をのぞくと客は誰もいない。おやじさんに「新聞記者ですが、原稿を書きながら食事してもよろしいでしょうか」と聞くと「どうぞ、好きなだけやってください」と仏様のようなお言葉。あまりに喉が渇いていたので瓶ビール1本と餃子を注文(デスク、すみません。若い記者は真似しないように)。コップ1杯をイッキ飲みしてガソリン補給完了。あとはひたすら原稿を打ち続け1時間後、無事に送稿完了。残ったビールと餃子、さらにビールをもう1本追加して「1人打ち上げ」。デスクからOKをもらい「ありがとうございました」とおやじさんに礼を言って店を出た。午後8時半を回っていた。「ガラ、ガラッ」という音に振り向くと、おやじさんが店のシャッターを降ろしていた。私の仕事が終わるまで待っていてくれたのだ。「おやじさん、ありがとう」。

 【18日】

 県営大宮球場へ。市川越-北本を取材。

 市川越のエース、メンディス海投手(3年)は大会前に事前取材した選手。父がスリランカ人のハーフで、引き込まれそうな澄んだ目が印象的な好青年だ。

 メンディス投手は14三振を奪う力投を見せたが打線の援護が無く0-1で敗れた。試合後、取材すると号泣していた。

 彼の帽子のつばの裏には「挑戦者」とマジックペンで書かれている。ブルペン捕手を務める同級生、栗本晃輔君に書いてもらった言葉だ。「どんな相手にも挑戦者としてぶつかっていく」という意味が込められている。ユニホームのポケットには栗本君が作ってくれたお守りも忍ばせていた。お守りの中には「大丈夫、1人じゃない」という手紙も入っている。ピンチを迎えるたびにメンディス投手は左手でお守りを触っていた。

 栗本君にも話を聞いた。「負けたけど今日のピッチングが今までで一番良かったと思います」。将来の夢を聞くと「先生になりたい。中学校の先生になって、選手たちに高校野球の素晴らしさを伝えたい」。最後の夏、ベンチ入りはできなかったが、相棒のメンディス投手とともに戦った3年間。この経験をいつの日か中学生に伝えてほしい。

 【19、20日】

 埼玉大会は休養日。

 【21日】

 県営大宮球場へ。浦和学院-星野、北本-山村学園、花咲徳栄-浦和実を取材。

 第1試合の浦和学院-星野は延長12回までもつれる熱戦となった。星野が2回までに3点をリード。浦和学院が9回に同点に追いつき12回裏、サヨナラ勝ちした。浦和学院をあと1歩というところまで追い詰めた星野の飯野勝監督と、長男で3番左翼で4安打3打点の活躍を見せた優太外野手(3年)を取材した。長男は「父に野球を教えてもらいたいと思って星野に進学しました」と話した。「へたくそだった僕をここまで引き上げてくれました。感謝です」と笑顔で3年間をふり返った。父は「星野野球部の伝統をつくりあげてくれた。ありがとうと言いたい」と話した。ただ12回に三振に倒れたことに「これは監督ではなく父親として。『もう1本打ってよ』と思いました」と笑った。

 「優太」という名前は父の「勝」と合わせて「優勝」という願いを込めて付けられた。高校野球でその願いはかなわなかったが長男は言った。「学校の先生になりたいんです。高校野球の監督になって、いつか星野に戻って父を甲子園に連れていけたらいいなと」。夢はまだまだ続く。

 【22日】

 埼玉大会が休養日のため神奈川大会を取材しにサーティーフォー保土ケ谷球場へ。東海大相模、向上を取材。

 【23日】

 いよいよ準々決勝。まずは県営大宮球場へ。

 この日は県営で浦和学院-聖望学園、花咲徳栄-ふじみ野。徒歩15分ほど離れた市営球場で春日部共栄-叡明、山村学園-川越工が組まれていた。

 試合開始2時間前の午前8時に球場到着。まずは聖望学園・西沢海投手(3年)のお父さんで入間向陽の野球部監督をしている達(さとし)さんを探した。達さんは埼玉県高野連の仕事もしている。間違いなく球場にいると思い、高野連の先生に聞くとすぐに呼んできてくれた。名刺を渡し「先日、息子さんの記事を書かせていただきました」とあいさつ。「良い記事をありがとうございました」。こう言っていただけるとありがたい。ただ息子さんは浦和学院との大一番。父もどことなく緊張しているようだった。

 午前10時プレーボール。1回の攻防を見て、西沢投手の写真を撮り終えると、お父さんと本人には申し訳なかったが市営球場に移動した。こちらの第1試合、春日部共栄-叡明も注目カード。汗まみれになりながら市営球場に到着すると2回裏、叡明の攻撃中。押し出し四球などで4点を先制した。その後、春日部共栄が反撃し6回を終わって5-5。8回に春日部共栄が川畑光平主将の2点適時打で勝ち越して試合は決まった。

 途中、ネット速報で県営の試合経過をチェック。聖望学園は西沢投手の力投報われず0-3で敗れた。

 勝った春日部共栄のヒーロー、川畑主将と、敗れた叡明・三上ケビン外野手(3年)を取材し、大急ぎで県営に移動。しかし、すでに聖望学園は球場を去った後だった。

 球場に残っていた西沢投手のお父さんに再び話を聞いた。「お疲れさんのひと言ですね。良く頑張ってくれました」。試合後の西沢投手がどんな話をしていたのか気になったので県営にいたM新聞のN記者にお願いしてコメントを教えてもらった。「勝てる投手になりたい。勝負強い投手になります」と話していたという。そのコメントがあれば十分。デスクに報告して紙面連載「君の夏は。」を書いた。書く前に西沢投手にLINEで「残念でした。取材に行けなくてごめんなさい」と連絡。すると「ありがとうございました! 最後まで全力でできたんでよかったです! 大学でも野球頑張りたいと思います! 釣りも頑張ります! ありがとうございました!」と返事が来た。釣りは西沢投手とお父さんの共通の趣味。夏休み、親子で思う存分釣りを楽しんでほしい。西沢君、おつかれさまでした。

 【24日】

 埼玉大会は準決勝だったが、どうしても外せない私用があり欠席。代わりに埼玉に行ったWキャップがたくさん記事を書いてくれた。感謝!