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野球の国から 平成野球史

メガネだから…指名されず反骨心 /古田敦也1

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長期連載「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」を、新元号となる来年5月まで送ります。時代を変えた野球人、時代を彩った名勝負、時代を揺るがした事件。「平成」を深掘りして考察します。第1回は古田敦也氏(53)。選手として、労組の選手会会長として、野球の歩みを紡ぎ、前へと進めた最重要人物が語ります。

87年11月、ドラフトで指名されなかった立命大・古田
87年11月、ドラフトで指名されなかった立命大・古田

  ◇  ◇

1989年に元年を迎えた平成の世の中で「メガネの捕手」が躍動した。ベストナイン9度。プロ野球タイの1試合4本塁打。2度のリーグMVP。兼任監督。古田の出現で、少年野球では不人気だったポジションが一躍、花形となった。背番号「27」は、プロでも捕手の背番号として定着。間違いなく捕手の概念を変えた。「そんな豪華なものじゃないですよ。必死にやっていただけです」と謙遜するが、影響力は絶大だった。

古田が平成の野球界に残した足跡は、プレーだけではない。04年に起こった球界再編問題。労組プロ野球選手会の会長として選手をまとめ、長い球史で初めてとなるストライキを断行し、球団削減の危機を瀬戸際で救った。従来のセ・パ12球団を維持し、人気の復興へとつなげた功績は大きい。経営者側と正面から向き合い、断固たる意志を貫き、体を張って実行に移す。その姿はファンから絶大な支持を得た。

強さの源流をたどっていくと、トレードマークである「メガネ」に当たる。屈辱から生まれた反骨心が希代の野球人を生んだ。

  ◇  ◇

2015年(平27)に行われた野球殿堂入りの発表会見では、どんな記録よりもメガネをかけてプレーしてきたことを誇りにした。「野球少年から『僕もメガネをかけて野球を続けています』という話を聞くとうれしかった」と笑った。

小3で野球を始めた時「太っていたから」と捕手を任された。小学校高学年当時の両目の視力は0・6ぐらい。裸眼だった。「明るければ見えた。暗いとさすがに少し見づらかったけど。『メガネなんて嫌だ』って言ってやってましたね」。メガネ嫌いだった古田少年は、長じてメガネの少年たちに希望を与える存在となった。

プロ野球選手になるまでは紆余(うよ)曲折があった。小学生の頃はプロになると信じて疑わなかったが「中学になると、さすがにプロになるのがどんなに難しいことか分かってきた。バカじゃないのでね」。高校も「プロを目指すわけではないし、家も貧乏だから」と、自宅近くの県立川西明峰に進んだ。大学は一般受験し、立命大と関西大に合格した。

入学を断ろうと出向いた立命大で野球部から思わぬ歓待を受けた。来てくれると勘違いした監督から感激され、4年生の先輩に京都の街に連れ出された。「飯、食わせてもらって。『楽しそうだな』って思ってしまってね。野球もやめる気だったけど。そういう意味ではやめないで良かったよ」。魅力的な京都の街のおかげで、日本球界は宝を失わずに済んだ。

メガネをかけてプレーするようになった大学時代、プロに行けると思い始めたのは大学4年で日本代表に選ばれてからだ。「セレクションに行った時に、たいしたヤツおらんなって思いましたね。ジャパンに選ばれて帰って来たら周りの扱いも変わっていた。『全日本の古田だ』って言われたら本人も舞い上がる。行けるんちゃうかなって」。

1987年(昭62)のドラフトを前に、プロ野球選手になるという夢は、確信に変わっていた。当時の日刊スポーツ紙面でも、大学生捕手のドラフト候補は、古田の名前しか掲載がない。いくつかの球団から指名を確約する電話もかかって来ていた。11月18日、花で飾られたひな壇で指名を待った。自宅では親戚を集め、母親がごちそうを用意してくれていた。

しかし、指名はなかった。報告した電話口で母は泣いた。「悔しかった。あれが反骨心の原点ですね。指名がなくてダメでしたという会見までやらされた。『意地でもプロに行ってやる』って思いましたね」。指名漏れの理由がメガネだと知ると、何を差し引いても評価される選手になろうと腹をくくった。「乱視がひどくて矯正の手段がメガネしかなかった。だったらよし、やってやろう。『いくぞ!』ってね」。

スイッチが入った。トヨタ自動車で2年間、必死にプレーした。88年ソウル五輪でも正捕手を務め、翌年ヤクルトから指名された。プロ入り後、母が上京してくる度に、お店へ連れて行き、メガネをプレゼントした。反骨心の源となったメガネも、母に対しては感謝の象徴だった。

強烈な反骨心ともう1つ。平成の名捕手の成功への大事な素養となったのは「自主性」だった。少年時代、兵庫県川西市の自宅に置かれたリンゴとスパゲティに、そのルーツがあった。(敬称略=つづく)

【竹内智信】


◆古田敦也(ふるた・あつや)1965年(昭40)8月6日、兵庫県生まれ。川西明峰―立命大―トヨタ自動車。88年ソウル五輪銀メダル。89年ドラフト2位でヤクルト入団。90年に新人捕手初のゴールデングラブ賞。91年に捕手でセ・リーグ初の首位打者を獲得。93、97年MVP。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞10度。盗塁阻止率トップ10度。97年正力松太郎賞。98~05年まで労組日本プロ野球選手会会長。球界再編問題が起きた04年はリーダーシップを発揮。06年から選手兼任監督を務め、07年に現役引退。現役時代は180センチ、80キロ。右投げ右打ち。

長期連載「野球の国から」の新シリーズ「平成野球史」を、新元号となる来年5月まで送ります。時代を変えた野球人、時代を彩った名勝負、時代を揺るがした事件。「平成」を深掘りして考察します。

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