<イースタン・リーグ:巨人6-4楽天>◇9月30日◇ジャイアンツ球場

日本ハム、ロッテ、ダイエーで21年間の選手生活を送り、その後ソフトバンク、阪神、中日で2軍バッテリーコーチを21年間(うち1年間は編成担当)務めた日刊スポーツ評論家・田村藤夫氏(60)が30日の巨人-楽天戦(ジャイアンツ球場)を取材した。死球を受けたプロ2年目増田陸内野手(20=明秀学園日立)の姿に、痛みに強いことの意味を考えた。

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巨人の先発オーダーを見て、おやっと感じた。増田陸の名前が入っていた。27日、ソフトバンクとの3軍戦でバンデンハークの146キロを左手首に死球を受けていた。その際のコツンという変な音、そして「やばい」と漏れた増田陸の声、その悔しがりようから、もしかすると折れているかもしれないと感じた。その試合では、初回の増田陸のソロで巨人が1-0で勝利。打撃好調時の死球が気になっていた。

死球を受けた時の様子を見ているだけに、試合には出られないだろうと思っていた。月曜は試合がなかったが、火曜のイースタン・リーグ楽天戦から途中出場して2打数1安打。そしてこの日はスタメン。右打者が左手首に死球を受ければ、どうしてもバッティングに影響は出る。どんなバッティングをするのかと注目していると、第1打席は楽天先発辛島のストレートをレフト前に運んだ。

相手は左腕ゆえに、右打者の増田陸からすれば、右投手よりも踏み込みやすい。そうした状況を踏まえ、第2打席も注視しているとカウント1-0のバッティングカウントからの2球目、外から中に入ってくるカーブをレフトスタンドに運んだ。怖がるそぶりもなく、打ちにいくスイングにオッと思った。痛みに強いと感じた。

私の現役時代は、死球を受けても折れていなければ試合に出るのが普通のことだった。例えば、日本ハム時代には、清原に何度も死球を与えてしまった。左手首もあったし、清原がよけられずに右手に当ててしまったことも何度かあった。それでも休まなかったと記憶している。

死球後の試合出場について、現在はだいぶ様子が異なる。私の現役時代に比べると、無理をさせない傾向にある。まず、トレーナーがしっかり診て、よほど本人の出場への意志が強くなければ、治療を優先させることが多くなった。選手が弱くなったということではなく、死球の影響をより詳しく考慮するようになったと受け止めている。

ソフトバンク2軍バッテリーコーチ時代の甲斐が痛みに強かった。死球だけでなく、ワンバウンドを止めにいって投球が体に当たることもあった。それでも、「痛い」と言わなかった。チャンスに対して必死で、痛いから試合に出ないということはなかった。我慢してでも出場していた。

当時、私は何度か「大丈夫か?」と聞いたが、甲斐はいつも「大丈夫です」と答えていた。今、振り返ると「大丈夫か?」と聞かれた2軍の選手が「ダメです」と答えるはずもない。思い起こせば、聞き方が悪かったかなと、感じる。今ならなんて聞くか。難しい。「どうだ?」が思い浮かぶが、選手がギリギリのところで、本心を答えやすい聞き方というのは、実のところ難しいのかもしれない。

話を戻すと、この日の増田陸は痛みに強いことを印象づけ、そして、はつらつとしていた。守備でもキレのある動きを見せた。2回、三塁の増田陸は、三塁線への難しい当たりに、下がりながらバウンドを合わせて飛び付き、転がりながら起き上がると、一塁へ素早く送球してアウトにしている。すぐに投手に声をかける様子を見ていると、メキメキ力をつけていると映る。

何でもかんでも我慢しろと無理強いを意味するのではなく、骨折や靱帯(じんたい)を痛めた場合などをのぞけば、あとは本人の意志が大きい。その上で、痛みに強いというのは、運動選手にとって大事なことだ。この日の増田陸がそうであるように、こうした姿は首脳陣の見方につながる。休まず、淡々とプレーして、結果を出す。印象が良くなる。使おうという気持ちになるのも自然の流れだ。(日刊スポーツ評論家)