プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月9日付紙面を振り返ります。2007年の1面(北海道版)では、リーグ首位でV争いまっただ中に電撃辞任となった日本ハムのヒルマン監督を報じています。

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 日本ハムのトレイ・ヒルマン監督(44)が8日、札幌ドームでの西武戦後に会見し、今季限りの退任を電撃発表した。来季から生活、活動拠点を移すことを理由に、米へ帰国することを決断し、球団からの残留要請を固辞した。メジャー監督就任を目指した昨季はドタバタの去就騒動が起きており、パ・リーグ首位と好調ながらシーズン中の異例の発表になった。球団は来季監督候補の人選に早急に着手する。

  いきなりのサヨナラだった。パ連覇、2年連続日本一を目指す好位置に付けるシーズン佳境のこの日、ヒルマン監督は「特別記者会見」と題した去就表明の場を設定した。「今季限りで北海道日本ハムファイターズを退団する意志を固めました」。試合前のスタッフミーティングでコーチ陣に、試合後に選手とスタッフを全員集めて約15分間、今回の決断に至る経緯、今後の展望などを説明した。

 最大の理由は家族の問題だった。「お金で買えない、取り戻せない時間というものがあるのではないか」。長男トーマスJr君(14)長女ブライアンナちゃん(9)の教育環境と、独り身の父ロイスさん(73)を考慮し、生活拠点を移すことを決めた。現時点では米球界での再就職のメドは立っておらず、周囲には「働けるならマイナーでもどこでもいい」と話しているという。昨オフは夢だったメジャー監督就任へ、地元テキサスのレンジャーズなど3球団の面接を受けたが、今回はあてもなく、裸一貫で、米球界復帰を目指すことになった。

 大社オーナーへ意向を伝えたのは8月8日。その後、続投を希望していた球団サイドは翻意させようと再三、説得したが、意志は固かった。ヒルマン監督が早期発表にこだわった理由の1つは、メジャー監督就任を目指した昨オフに、日本ハム残留との「両てんびん」の就職活動で起こしたドタバタ騒動の再発防止。球団側はシーズン終了後の表明を要望したが、同監督の強い希望で異例の時期の退任発表になった。

 球団側も困惑は隠せない。それでも昨季、新庄氏がシーズン序盤で電撃引退表明するなど“免疫”があるためか、大社オーナーも「(時期は)異例かもしれないけれど、日本ハムじゃあり得ない話じゃない」と受け入れた。今後は急ピッチで後任の監督の人選に着手。高田GMを中心に行っていくことを確認。同GMが手腕を高く評価している梨田昌孝氏、牛島和彦氏(ともに野球評論家)ら複数候補をリストアップし、絞り込んでいくことになりそうだ。

 選手たちはミーティングを実施。レギュラーシーズンはまだ21試合あり、選手会長兼主将の金子誠の「精いっぱい、変わりなくやろうよ」という声に同調したという。ヒルマン監督も「これでサヨナラじゃない。あと2カ月半シーズンをやろうと思っている」などとゲキを飛ばしたという。シンジラレナ~イ!退任表明の結果は吉と出るのか凶と出るのか。

 

 ◆ヒルマン監督一問一答

 -退団の理由は

 ヒルマン監督 家族のこと。子どもは多感な時期で、教育問題もある。父親の責任をまっとうすべきと思った。

 -なぜこの時期に

 フロントが早めに来年の準備が進められるだろう。個人のことで前進が阻まれることのないよう、話すことにした。

 -球団とはいつ話した

 ヒルマン監督 8月の2週目くらい(実際には8月8日)にオーナーと話した。強い慰留には感謝しているが、意志は固かった。

 -この時期に選手に伝える点は

 ヒルマン監督 ネガティブなことは起こらないという確信がある。みなで優勝の喜びを味わえるよう、全力を尽くして指揮を執っていきたい。

 -今後は

 ヒルマン監督 まったくの白紙。タイミングが合致するようなことがあれば、自分の希望だが喜んで北海道に戻ってきたい。

 

 ◆トレイ・ヒルマン 1963年1月4日、米テキサス州生まれ。85年から3年間、インディアンスのマイナーで内野手としてプレーしたが、メジャーに上がることなく引退。88年イ軍スカウト、89年ヤンキースのマイナーコーチを経て、90年から3年間、ヤ軍傘下1Aから3Aまで球団の監督を務める。02年にレンジャーズの選手育成部長。03年から日本ハム監督。昨年、球団を44年ぶりの日本一に導き、決めゼリフの「シンジラレナ~イ!」が流行語大賞のトップ10に入った。家族はマリー夫人と1男1女。

※記録や年齢など表記は当時のものです