球界の「継続は力」に潜入する。4月23日、連続2215試合出場の日本記録を持つ衣笠祥雄氏が死去。5月29日には、阪神鳥谷敬内野手(36)の記録が同2位の1939試合でストップした。続けることの偉大さがフォーカスされる今、歩みを止めない“鉄人”たちに思いを聞いた。

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 「なぜ3000試合以上出場できたのか」と聞かれることがあるが、答えは“積み重ね”しかない。置かれた立場での、その時その時の目標をしっかり持ってプレーした結果。「今日の試合に勝つために何をしなければいけないか」を常に考えて27年間、準備をしてきた。プロ入り時は、出場試合数の記録すら知らなかった。当時の頭にあったのは、レギュラーになりたい、勝ちたいという思いだけ。それが行動の源だった。

 試合に出るために練習してきたが、初めてフルシーズン1軍でプレーした年のオフ、今まで味わったことのない疲労感があった。ゲームに出続けての疲れや重圧は、練習でのそれと全く違う。この疲労感を毎年感じていたら、プロでは長く戦えないと感じた。1年間戦っても耐えられる体を、もう1度作らないといけない。筋力トレーニングの内容を見直して全身を鍛え直し、走る量も増やした。

 プロ10年目の頃からは、自主トレの方法も見直し、1人で行うようにした。自分が決めたメニューで楽をした時点で、選手は終わり。1人は精神的にきついが、やり抜くことでメンタルの強さも生まれる。「走れなくなったら現役をやめよう」と思っていたので、特にランニングは妥協せずに取り組んだ。

 野村(克也)さんの記録を超えたときは、もちろんうれしかった。ただ出場した試合、全て勝ったわけではない。野球もまだまだ分からないことがある。多くの人たちの支えへの感謝も、決して忘れてはいけない。だからこそ、出場3021試合という数字は、自分ができることを1つ1つ積み重ねてきた結果でしかないと思っている。これは野球選手に限らず、さまざまな職で1つの仕事を継続してきた方々にとって、共通する思いではないだろうか。(日刊スポーツ評論家)