梨田昌孝氏 とても大切な“昭和最後の1日”/連載

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<10・19を戦った男たち~近鉄悲劇から30年~(3)>

近鉄一筋に生き、球団最後の監督となった梨田昌孝(65)にとっての「10・19」は自らの現役引退試合でもあった。

◆第1試合 3-3で迎えた9回2死二塁。同点止まりなら9回打ち切りのため優勝が消滅するという絶体絶命の場面で代打起用。ロッテ牛島から中前に起死回生の勝ち越し打を放つ。

梨田 仰木さんが代打を告げるまでが長くてね。オレしかおらんやろ。何してるんやと最初はイライラしてた。でもあまりに長いものだから、そこから冷静になっていくんです。現役最後の試合になるということも決めていた。頭の中に走馬灯のようにいろいろなことが駆け巡ってね。打者としての原点というのかな。とにかくバットを振ろう。ファーストストライクから振ろう。そう決めて打席に入っていけたんです。

ボールの後の2球目。インハイ直球を振り抜いた梨田の打球は詰まりながらもセンター前に落ちた。二塁から鈴木が決死の生還を果たすと、ホームベース後方で中西コーチと鈴木が抱き合い、転げ回っていた。

梨田 魂がこもっていたと思う。だから詰まっていても奇跡的にセンター、ショート、セカンドのちょうど真ん中に落ちたんじゃないかな。キャッチャーとしてやるべきではないと決めていたガッツポーズをこのとき初めてやった。スタンドのコールにこたえながらね。

正捕手として近鉄を引っ張ってきた梨田は右肩手術や痛めたアキレス腱の影響もあり、前年限りでの引退を申し出ていた。だが、監督就任が決まった仰木から「選手とのパイプ役として残って欲しい」と懇願され現役続行。そして迎えた最後の打席は極限の場面で訪れ、川崎球場を熱狂の渦に巻き込む起死回生の一打となった。

梨田 現役を続けて本当によかったと思いましたね。私は閑古鳥が鳴くパ・リーグで生きてきました。あの日の川崎球場は試合前から普通の雰囲気ではなかった。リーグ優勝も日本シリーズも経験していたけど、あの雰囲気は初めてだった。2試合目は時間切れで優勝のない10回裏にマスクをつけたのですが、引き分けに終わったその時点ではむなしさ、せつなさ、情けなさという感情に包まれていたと思う。だから(2試合目の)最後の守りの記憶はほとんどないんです。でも後になってニュースステーションで久米さんが中継を続けてくれてパ・リーグが、近鉄バファローズが全国でクローズアップされたということを知って本当にうれしく思いました。

近鉄最後の監督として01年リーグ優勝。その後、日本ハムでも優勝監督となった。今季は志半ばで楽天監督を辞したが、近鉄一筋、パ・リーグ一筋に生き、今日のリーグ発展の一端を担ったという自負もある。

「長い1日やったねえ。いろんなことが詰まったね。パ・リーグにとってもとても大切な、昭和最後の1日になったんじゃないかな」。甘いマスクで人気ものだった現役時代そのまま梨田スマイルは健在だった。(敬称略)

◆梨田昌孝(なしだ・まさたか)1953年生まれ。島根県出身。浜田からドラフト2位で近鉄入団。引退後は近鉄コーチ、監督を歴任。日本ハム監督として09年リーグ優勝。今年6月、楽天監督を辞任。監督通算805勝。

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  • 自らの決勝打で第1試合に勝ち梨田(中央)は阿波野と握手
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