巨人の「1993年世代」が谷間から脱却してチームを下支えした。桜井、メルセデス、中川、若林、田中俊、増田大…中堅に差し掛かる26歳シーズンに巡ってきたチャンスに泣き笑いを繰り返し、存在感を示した。

93年といえば、classの名曲「夏の日の1993」が誕生した年。リリースした日浦孝則氏(59)が楽曲に込めた思いと選手たちの群像劇をかけ算すると、台頭の理由が透けてくる。【取材、構成・桑原幹久】

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ホーンが鳴り響く。フラッグがなびく。1993年5月15日。日本球界に強烈なライバルが出現した。Jリーグ開幕。10月28日には「ドーハの悲劇」も起こった。サッカー人気は青天井の勢いで、少年たちの価値観にコペルニクス的転回が起こった。

野球かサッカーか。93年に生を受けた男たちは、それぞれの道を歩みだした。桜井は社会の流れに身を任せた。幼稚園の発表会で「将来はサッカー選手になりたいです!」と宣言。公園で遊ぶとなれば、投げるか蹴るかの2択。「友だちに誘われなかったら、サッカーをやっていたかもしれないです」とJリーガーに心を奪われかけた。

親の影響…そこは野球がまたまだ大きな比重を占めていた。重信は母が大の虎党。「野球を見に行くならレフト側『P』の一番前が定位置でした」と千葉から神宮球場のレフトスタンドへ通った。父に元大洋の憲一さんを持つ若林は3歳からプラスチックのバットを振った。「おやじがやっていたので」と妥当な動機だった。

野球に恋をした。野球に夢中になった。もちろん、そんな少年もいた。

少年野球を始めた中川はイチローモデルのグラブとバット。中学時代の田中俊はテレビの前で川崎宗則の打撃フォームをまねた。

高校野球での「夏の日」は片思いに涙した。93年世代10人の中で3年夏の甲子園に出場したのは東大阪大柏原の石川だけ。東海大相模の田中俊は、敗退後は県大会の結果も耳に入れなかった。早実の重信は敗退翌日、水着を買いに行った。

彼らの耳に、染み付いて離れない1曲がある。タイトルに生まれ年が入っているから…だけではない。

田中俊 93年だから…大学の時に知って、いい歌だなって。

今村 歌えます! みんなでカラオケとかは行かないですけど(笑い)

重信 知ってますよ! ナインティー・ナインスリー、恋をした~って。世代の歌だから。「おお!」ってなります。

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日浦氏の隣には南こうせつと森高千里がいた。デビュー曲「夏の日の1993」を引っさげ、憧れのミュージックフェアに初出演した。「俺って売れたんだな」。「私の夏」を森高とデュエットした。ジュリアナ全盛期でコギャルが出現し始めた。お台場にレインボーブリッジがかかり、横浜にはランドマークタワーが完成。「バブリーな時代が続くだろう。いや、続いてほしいと思ってました」。

時代の変革期。その隙間は、球界にもシンクロしていた。1学年上はソフトバンク千賀、ヤクルト山田哲。1学年下にはエンゼルス大谷、広島鈴木らスターがひしめく。今村は「いろんな人によく言われますよ。『中途半端な世代』って。慣れましたけどね」。重信は「僕らと同じ26歳で、勇人さんはキャプテンですもんね。僕も含めてこんなところにいちゃいけない」と大差を認め、痛感する。

「人生は鯨のようなもの」。日浦氏は持ち歌のタイトルで人生を表現した。「泳ぐことをやめたら死んでしまうよ」「諦めないでひょうひょうと泳いでいこう」と歌った。「何で今、俺はこんなことをやっているんだろう、と思ったこともあった。でも『人生に無駄はない』『絶対に自分に返ってくる』と今は思う。だからこそ93年世代のみんなには『今頑張れば、次がある』と伝えたい」。

無名時代は小料理店でのアルバイトで食いつなぎ、87年にソロデビュー。2年後に契約解除され「田舎には帰れなかった。『まだできる』と思ってたから」。IT関係会社に勤めながらデモテープを売り込み続けた。「classで売れる前にソロデビューしている。彼ら…93年生まれの選手たちみたいなものなのかな」と自分に重ねた。

今年2月の春季キャンプ中に、今村と石川の発案で3年ぶりに「93年会」の食事会を開催した。「レギュラーつかもう」なんて片意地張った話題は挙がるわけもない。映画、音楽、テレビ…たわいなき会話で時が過ぎた。ワイワイガヤガヤ、でもない。近すぎず、離れすぎず、が流儀だ。

田中俊は「『自分は自分』って人が多い。いい意味で仲よしこよし、じゃない」。桜井は「みんな意外性がある」。増田大は「キャラと癖が強い」とそれぞれ言った。「ゆとり」「さとり」とは違う。エリート世代とかけ離れている。でもそれぞれが意地を秘め、芽吹いた。令和元年に「1993世代」がスマッシュヒットしたのは偶然ではない。多様性が求められる時代に、しなやかに、たくましく調和している。

 

○…日浦氏は色紙に「人生は鯨のようなもの」と93年世代へのメッセージを記した。13年にリリースした曲のタイトル。歌詞には「泳ぐことをやめたら死んでしまうよ」「諦めないでひょうひょうと泳いでいこう」とある。「立ち止まっちゃいけない。人生に無駄なことはないから、何事も一生懸命やってほしいね」とエールを送った。

 

 

◆日浦孝則(ひうら・たかのり)1960年(昭35)1月17日、広島県大芝島生まれ。立命大理工学部電気工学科出身で吉田拓郎に憧れ、85年に上京。故津久井克行氏と結成したツインボーカルデュオclassで93年「夏の日の1993」でデビュー。いきなり170万枚を超えるヒットを記録した。96年に解散。ソロ活動を行い、横浜ベイスターズの応援歌「勝利の輝き」などを手がけた。