阪神電鉄元会長で球団オーナーだった手塚昌利氏が18日に心不全のため神戸市内の病院で亡くなったことが21日、分かった。阪神電鉄が発表した。89歳だった。葬儀・告別式はすでに行っており、後日お別れの会を開催する予定だが、日時などは未定。

1992年(平4)に本社社長に就いた手塚氏にとっての苦難は、95年1月17日に起きた阪神・淡路大震災だった。架線、車庫は壊滅的、甲子園球場周辺を含めて沿線は大打撃を受けた。ホテル阪神に寝泊まりし、6月に全線復旧するまで陣頭指揮をとり続ける姿は印象的だった。

久万俊二郎氏に代わって球団オーナーに就いたのは04年11月。物柔らかな性格だが、学生時代は水泳部に所属し、勝負に対するこだわりは強かった。オーナー就任会見で、2年目の岡田監督に「優勝しろと厳命したい」といきなり発した号令には闘志がにじんだ。

その言葉通り、翌05年にチームは2年ぶり5度目のリーグ優勝(1リーグ時代を含めると9度目)を果たし、就任1年目から強運を見せつけた。9月29日の巨人戦(甲子園)で優勝した瞬間を見守った後、ビール掛けの祝勝会にも参加して祝福した。

その05年はリーグ優勝が増収効果をもたらした一方、阪神電鉄筆頭株主になった村上ファンドの買収問題が起きて厳しい立場に立たされた。手塚氏は阪神が阪急ホールディングスと経営統合した06年に会長から相談役になって、オーナー職からも退いた。

チームが低迷した当時は球団売却の話が浮上したが「全く考えたこともない」と一蹴。激動を過ごした手塚氏は「タイガースは阪神グループだけのものじゃないから」といった上で「鉄道会社の本来の使命は街づくり。球団と電鉄が一体となって追求します」と語っていた。【寺尾博和】

◆手塚昌利(てづか・まさとし)1931年(昭6)3月8日生まれ、徳島県鳴門市出身。旧制市岡中(現大阪府立市岡高)から京都大法学部を経て53年阪神電気鉄道株式会社に入社。主に運輸・不動産部門を担当し、阪神・淡路大震災からの復興や西梅田地区再開発などに尽力。81年取締役、86年常務、89年専務・阪神球団取締役、92年代表取締役社長、98年阪神球団オーナー代行、04年代表取締役会長、阪神球団第7代オーナー就任。06年6月、阪急との経営統合に伴い、村上ファンド問題での引責もあり、電鉄会長、球団オーナーを退任した。