昨年1月17日に急性心不全で死去した中日OB、高木守道氏(享年78)のお別れの会が26日、名古屋市内のホテルで行われた。同会には球団から中日与田剛監督(55)、キャプテンの高橋周平内野手(27)、選手会長の京田陽太内野手(26)、阪神を退団し14年ぶりに古巣に復帰した福留孝介外野手(43)らも出席。与田監督は「(高木監督は)じっと選手を観察する。そういうところから、信頼関係が築かれていった。(就任)3年目になるが、いろんな発見もある。いままでと違う感覚でしっかり(選手を)見ていかないといけない」と、高木イズムを継承して10年ぶりのV奪回を誓った。

同会は昨年3月2日に予定されていたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で順延されていた。

同氏は60年に県岐阜商から中日に入団。63年から二塁手としてレギュラーに定着し、現役通算2274安打、369盗塁、打率2割7分2厘の成績を残した。盗塁王3回、ベストナイン7回など数々のタイトルを獲得。現役時代の二塁守備では、バックトスなど華麗な守備を披露してファンを魅了した。79年の引退後は、2軍監督、1軍守備コーチなどを歴任。評論家を経て、91年オフに監督に就任し、94年には長嶋巨人と同率首位で130試合目の最終戦をナゴヤ球場で迎えた「10・8決戦」を指揮。ナゴヤドームに本拠地を移した11年からも落合監督の後を受け、2年間指揮を執った。

【主な出席者の話】

▽権藤博氏(現役時代をともにし、12年は1軍投手コーチとして高木監督を支えた)「ほぼ60年の付き合いだった。彼は天才。選手時代は努力するセンスは抜群だった。監督は努力しても、やるのは選手だからね」

▽中日高橋周(11年ドラフトで3球団競合の中、高木監督が交渉権を引き当てて1位入団)「あの人がいなかったら、ドラゴンズに入っていない。(ベンチでは)顔が赤いイメージがあった。怒っているんだろうなと思った。実力のないときから試合で起用してくれた。今はその経験が生きている」

▽中日京田(背番号1を継承)「走攻守すべてすごい選手。1番は高木さんが14年つけていた。ゴールデングラブ賞もベストナイン賞も多く取られた。超えられるように、長く活躍したい」

▽福留(前回在籍時は背番号1)「今年から中日のユニホームを着ることを報告した。(阪神時代に)ベンチから見ていて前面に闘志を出されていた。ユニホームを着ると人が変わる感じだった。同じ1番をつけさせてもらった。汚さないようチームに貢献していきたい」