「なぜ、君たちは横浜高校に入ったんですか?」。楽天涌井秀章投手(35)は昨オフ、母校の横浜高へ自主トレに訪れ、後輩たちに問い掛けた。例年、関係者へのあいさつも兼ね、年末年始に母校で自主トレ。高校時代にバッテリーを組んだ村田浩明監督(34)から部員への一言をお願いされ、発した言葉だった。

涌井 横浜高校に入ったことで、満足してないか? と思った。甲子園に行きたいのか、プロに行きたいのか。何のために入ってきたのかを思い出してほしかったんです。

目標設定の重要性を説き、そのために何をすべきかを考えさせた。自らの高校時代は「横浜高校と言えばプロ入りして、即戦力で」と思いながら、練習に励んだ。2年春のセンバツでは、1学年上の元ロッテの成瀬とともに準優勝を達成。エースを務めた3年夏は甲子園で8強入りし、高校日本代表にも選出された。

涌井 誰よりも練習した自負があります。部長(小倉)にやらされたっていう部分もあるけど、高校ジャパンに行った時に周りの選手と話しても間違いなく、オレが一番練習をやったなと思った。

横浜高で教わった野球は、時にはプロのレベルをも超越した。「ちょっと、意見したこともあって…」。プロ1年目、一、三塁で一塁走者がスタートした時の練習中だった。高校では捕手が二塁へ送球した時、三塁走者が走ったのが見えれば投手がジャンプし、カットしてもOKだったが、プロでは「サイン通りやってくれ」と言われた。

涌井 部長は野球を知りすぎてて。練習の量も質も本当に高かった。村田監督も部長の教え子なので、その辺も変わってくるんじゃないかなと思います。

監督就任2年目で復活に向け、チームは再建中。昨秋県大会は、準決勝で〝永遠のライバル〟の東海大相模にコールド負けし、今春も県大会の準決勝で桐光学園にコールド負けした。「勝ち負けは紙一重だけど、コールド負けはちょっと説教です。力はあるはずだから、意識の部分じゃないかなと思うんです」。

実は涌井自身、横浜高を選んだのは、親から勧められたからだった。入学後、渡辺監督、小倉部長から熱心な指導を受け、心技体で進化。進路面談で、同部長から「プロしかないだろ」と言われ、プロで活躍するために一層、己を追い込んだ。

涌井にとって、横浜高とは-。「そりゃ、気になりますよ。母校だから」。「頑張ってほしいですか?」の問い掛けに即答した。「頑張ってほしいとか、そういうのじゃないんです。横浜高校は」。【久保賢吾】

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