阪神第35代監督の岡田彰布氏(64)が16日、大阪市内で就任会見に臨み、18年ぶりV奪回への自信をみなぎらせた。

優勝を「アレ」と表現するなど岡田節が全開。骨太チームへの改革第1弾として、大山悠輔内野手(27)を一塁、佐藤輝明内野手(23)を三塁かつ、ともに中軸に固定するプランを明かした。2年契約で推定年俸は1億円、背番号は第1次政権時と同じ「80」が有力。厳しく勝利を追求する第2次政権で猛虎復活を目指す。

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ビシッと決めた黄色のネクタイ。15年ぶりに阪神の指揮を執る岡田新監督の第一声に、猛虎愛がほとばしった。「やっぱりなんとかしたい。年齢的にもそんなに長くはできないと思うけど、最後、タイガースのためにユニホームを着ようと」。08年の退任後、オリックスの監督も経て、ネット裏から戦いを見守ってきた。「強く勝てるチーム。でも勝てない歯がゆさはあった。暗黒時代とは違うし、やりがいはある」。戦力はある。でも勝ち切れない。18年も優勝から遠ざかるもどかしさを現場で晴らす時がきた。

会見は岡田節全開だった。「ずっと優勝は『アレ』しか僕は言ってなかったんで」。そう前置きし、力強く宣言した。「シーズンが終わるころに楽しみにしてもらったら。当然ね、狙えるんじゃないか」。優勝=アレ。来季、自身が第1次監督を務めた05年以来、18年ぶりの「アレ」を奪回する自信をみなぎらせた。

最重要テーマはリーグ1位の防御率を誇る投手陣を援護する攻撃力のアップ。骨太のチームへ、改革第1弾も披露した。「大山と佐藤輝が中心になって、クリーンアップ打って、不動のポジションでチームを引っ張っていかないと。それを固定して若い選手とかもついてくる」。2枚看板の2人を中軸に固定した上で、ポジションも大山を一塁、佐藤輝を三塁に固定する。

「大山は膝がどのくらい悪いか分からないけど、理想は大山が一塁で佐藤輝が三塁。全試合変えない。代走も送らない。そういう気持ちでやらないと」。求める理想は、第1次政権で5年間全試合4番を託した鉄人金本のようなフルイニング出場だ。今季の2人は打順や守備位置が流動的だったが、「クリーンアップを打つもんがスーパーサブ的なものをやったらあかん」と指摘。4番で優勝争いをけん引した金本のように、打撃に専念できる環境を整える。

期待するからこそ辛口なゲキが続く。「佐藤輝はもっと打てると思うけど、これくらいの選手なのかなと指導した時点でそうなるかもしれない。大山にしても6年目でしょう? 右で30本塁打いかない、3割いかない。それくらいの選手かなと思う時もある。はっきり言ってね。だからその2人を何とかしないといけない思いが強い」。しっかり指導すれば必ず伸びるはず。2人を本物の主砲に成長させることが、第2次政権を託された使命とも感じている。OS砲を岡田阪神の2大看板に育て、栄光をつかむ。【石橋隆雄】

◆岡田監督の「アレ」 オリックス監督時代の10年、交流戦で選手が意識しすぎないように「優勝」とは言わず「アレ」という表現を使用。コーチや報道陣まで「アレ」と表現し、初優勝を飾った。交流戦優勝グッズとして「アレしてもうた」Tシャツが売り出されるほど流行語になった。

◆岡田彰布(おかだ・あきのぶ)1957年(昭32)11月25日生まれ、大阪府出身。北陽(現関大北陽)-早大。早大では3年秋に3冠王を獲得し、リーグ通算20本塁打。79年ドラフト1位で阪神入団。80年新人王。日本一の85年に二塁手でベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)。94年オリックスへ移り、95年引退。現役通算16年で1639試合、1520安打、247本塁打、836打点、打率2割7分7厘。98年阪神に復帰し、2軍監督などを歴任。04年から1軍を率い05年リーグV。10~12年オリックス監督。監督通算8年、581勝521敗39分け、勝率5割2分7厘。現役時代は175センチ、77キロ。右投げ右打ち。

◆今季大山と佐藤輝の守備位置と打順 大山は4ポジション、佐藤輝は3ポジションを守った。複数ポジションを守った試合は大山が23試合、佐藤輝は46試合。そのうち、内野→内野または外野→外野を移動した試合は大山が3試合、佐藤輝は1試合。守備位置変更の多くを内外野間が占めた。大山は、9月13日広島戦では左→右→左と、のべ3ポジションに就いたケースもあった。佐藤輝は8月26日中日戦では三→二と、プロ入り後初めて二塁も守った。打順も、大山は3番から7番まで5つの打順を経験。最多は5番の79試合だったが、6番や7番などクリーンアップを外れた試合もあった。佐藤輝も4つの打順を打ち、最多は4番の108試合。シーズン序盤には2番も経験した。

◆岡田監督の今後の予定 17日はABCテレビの夕方のニュース番組「newsおかえり」に生出演し、CS放送スカイAの特番にも出演する予定。19日は東京都内でドラフト前日のスカウト会議に出席。補強ポイントを確認し、20日のドラフト会議当日に備える。1位は原巨人がすでに公表している高校68本塁打の高松商・浅野翔吾外野手(3年)や大阪桐蔭・松尾汐恩捕手(3年)が有力で、原巨人と競合抽選になる可能性もある。阪神の選手とは24日からの秋季練習(鳴尾浜)で初対面。「11月が一番伸びる。楽しみな1カ月」と、来月2日からは高知・安芸での秋季キャンプでナインを鍛える。

◆第1次岡田政権の中軸固定 03年オフに就任すると金本に「全試合4番」を指示。金本は期待に応え、岡田監督在任5年間の全718試合で先発4番を全うした。在任5季で、中軸のべ15人のうち、10人がその打順で100試合以上スタメン出場。優勝した05年は金本に加え今岡も全146試合で5番を務め、プロ野球歴代3位の147打点を挙げた。05年は守備位置固定が顕著で左翼金本、三塁今岡は全試合不動だった。

◆05年の阪神 岡田監督2年目。開幕ダッシュはならずも、交流戦21勝13敗2分けで首位に浮上。7月12日には2位中日に8ゲーム差をつけた。その後中日の猛追を受け、2度0・5ゲーム差に迫られたが、9月7日の同戦を延長戦で制してから6連勝。9月29日の巨人戦でリーグ優勝が決まった。ベテラン金本がMVP。赤星は5年連続で盗塁王。藤川はプロ野球新記録となる80試合登板、53HPで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。抜群の安定感を見せたウィリアムス、藤川、久保田の救援3本柱は「JFK」と呼ばれた。

◆阪神で2期以上務めた監督 今回の岡田監督を含めて9人いる。優勝は2人。若林忠志は1リーグ時代、1期目の44年と2期目の47年に優勝を飾った。若林は投手兼任で、44年22勝、47年26勝を挙げる大車輪の活躍だった。吉田義男は2期目の初年度85年、バース、掛布、岡田の強力打線を擁し、前回の75~77年になし得なかったセ・リーグ優勝を達成。初の日本一にも導いた。97~98年は球団唯一となる3期目も務めたが、5位と6位に終わった。61年途中に就任した藤本定義は、62、64年にセ・リーグ制覇。65年限りでいったん退いたが、66年杉下茂の途中退任を受けて再びユニホームを着た。また、ミスタータイガースと称された藤村富美男、村山実も監督を2度ずつ務めたが、優勝は果たせなかった。

<阪神で監督を2期務めた優勝監督>

◆若林忠志 投手としての阪神在籍中233勝は、現在も最多の名選手。1リーグ時代には兼任監督も務めた。42~44年に1期目を務め、44年に優勝。自らも22勝を挙げた。戦争のためリーグ戦が中止された45年と、投手に専念した46年を挟み、47年に再び監督兼任。同年に投手として26勝を挙げ、2度目の優勝を飾った。49年に退団し、毎日(現ロッテ)へ移籍。

◆吉田義男 1期目の75~77年は3位、2位、4位とVには届かず。85年に再就任し、改革に着手。岡田を二塁手に、真弓を右翼手に固定するコンバートを断行した。開幕するやいなや、バース、掛布、岡田のクリーンアップが大爆発。21年ぶりのセ・リーグ優勝を果たす。日本シリーズでは西武を破り、現在も球団では唯一となる日本一を果たした。

○…阪神藤原崇起オーナー(70=阪神電鉄会長)が岡田新監督の全面バックアップを誓った。「豊富な経験と知識、タイガースを強くしたいという熱意を持っている。若い選手が中心のチームをさらに高いレベルに引き上げ、優勝に導いてくれる方」と期待。同監督が宙を舞った05年以来のリーグ優勝を願った。さらに「勝つための戦力を整えるのが我々フロントの仕事」と補強などの支援を約束した。

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