やっと、うれし涙を流せた。先月14日に支配下登録されたばかりのプロ3年目、ヤクルト山野太一投手(24)が初勝利を挙げた。巨人エース菅野との投げ合いに真っ向勝負し、7回4安打無失点。2年前、ルーキーで開幕6戦目の先発を任されるも1回1/3で7失点してから、上半身のケガでこの日まで1軍登板はゼロ。昨季オフに育成契約となり、悔し涙に明け暮れた日々を乗り越えての1勝だった。チームは8月初戦を1-0で勝利し、3連勝と勢いに乗った。

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悪夢を塗り替えた。山野自身がよみがえらせた左肩で、過去の自分と決別した。初めてのヒーローインタビュー。守護神田口から受け取ったウイニングボールがポケットの中で温かい。「野球をやりたくない日々もあった…」。こらえきれなかった涙に敵地だが、ファンも温かい声援をくれた。

相手は巨人のエース菅野だが1歩も引く気はなかった。互いに0行進を続けて迎えた6回。2死一、二塁で本塁打ランキング1位の岡本和を迎える。「腕は振れている。自分の出せるモノを出せば大丈夫」と左肩を信じた。低めに沈む136キロのカットボールで右邪飛に打ち取り、1番のピンチを切り抜けた。

東北福祉大から20年ドラフト2位で入団。21年4月1日のDeNA戦(横浜)に先発も1回1/3、49球を投げ5安打3四死球7失点と炎上し、その後はケガの影響で1軍登板はなかった。「あの映像は見ないようにして今日まで来た」。トラウマだった。

大好きだった野球が「嫌いになった」。ネガティブが頭を支配。試合中のマウンドでも泣いた。「なんとか肩が痛くないフォームで投げよう」と、サイドスロー転向をコーチや球団に泣きながら願い出たこともある。

支えは右肘痛でともにファーム調整中の奥川だった。年齢は3つ下だが、入団は1年先輩の戦友。ともに寮生活だった頃は奥川にボディーソープを冷凍庫に入れられ、凍らされたりもした仲良し。「奥川が近くにいて『山野さんはすごいから』とずっと言ってくれていた」。両親からも「太一は大丈夫」と何度も励まされ「本来の自分を取り戻せれば、必ず投げられる日が来る」と信じ続けた。

トラウマのプロ初先発から「今日、自分の殻をちょっと破れたような気がします」。悪夢の49球を、記憶のかなたに封じ込んだ。【三須一紀】

◆山野太一(やまの・たいち)1999年(平11)3月24日生まれ、山口市出身。高川学園で3年夏に甲子園出場。東北福祉大では3年春MVP。リーグ戦通算32試合22勝0敗、防御率1・40。20年ドラフト2位でヤクルト入団。21年4月1日DeNA戦で初登板初先発も2回途中7失点。22年オフに育成契約し、今年7月に支配下復帰。今季推定年俸750万円。172センチ、77キロ。左投げ左打ち。

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