プロ野球の巨人の監督を2期15年にわたって務めた巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま・しげお)さんが、3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。89歳だった。
読売新聞グループ本社、読売巨人軍、オフィスエヌが連名で発表した。
葬儀・告別式は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開くといい、日程や会場は「決まり次第、お知らせします」とした。
アテネ五輪日本代表監督だった04年3月4日、脳梗塞で倒れ、右半身にマヒが残った。懸命にリハビリに取り組み、07年2月には巨人キャンプを視察できるまで回復した。13年には松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞。同年5月、東京ドームで行われた授賞式では始球式の打席に立ち、左手1本でスイングして満員の観衆を沸かせた。
18年7月に胆石で入院し、一時は黄疸(おうだん)の症状が出るなど危険な状況に陥った。しかし、ここでも驚異的な生命力でカムバック。21年7月の東京五輪開会式では、王貞治氏、松井氏らとともに聖火ランナーを務め、悲願の五輪参加を果たした。
22年9月に転倒し、脳内の出血のため入院した。その後は療養を続けていた。その後は療養を続けていたが、23年には3月31日の中日との開幕戦と11月23日「ジャイアンツ・ファンフェスタ 2023」で東京ドームに登場。足腰のリハビリの進み具合などで退院はできていない中、ファンフェスタでは阿部慎之助新監督からマイクを託さえると、左手で握り「来年は絶対に勝とう! 勝つ、勝つ、勝~つ!」と3万9527人が集まった球場にとどろかせていた。
24年には5月3日に東京ドームで開催された球団創設90周年記念の特別試合「長嶋茂雄DAY」に、松井氏とともにサプライズ登場。それ以外でも東京ドームを訪れ、阿部監督やチームを激励した。
◆長嶋茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日、千葉県印旛郡臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立大に進学。杉浦、本屋敷らと黄金時代を築き、首位打者2度。当時の東京6大学新記録となる通算8本塁打を放った。
巨人入団1年目の58年に打率3割5厘、29本塁打、92打点で本塁打王、打点王に輝き新人王に。59年6月25日の天覧試合(対阪神)では同点本塁打とサヨナラ本塁打。王貞治との「ON砲」で65~73年の巨人V9を支えた。74年に現役引退するまでMVP5度、首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度を獲得し、「ミスター・ジャイアンツ」として球界最大のスーパースターとなった。
巨人監督に就任した75年は球団初の最下位。監督は75~80年、93~01年の計15年務め、リーグ優勝5度(76、77、94、96、00年)、日本一2度(94、00年)。アテネ五輪日本代表監督として03年のアジア予選は3戦全勝で五輪出場を決めたが、04年の本戦では病気のため指揮を執ることができなかった。
88年野球殿堂入り。現役時代は178センチ、76キロ、右投げ右打ち。家族は故亜希子夫人(07年9月18日、64歳で死去)との間に長男一茂さん(元プロ野球選手)長女有希さん、次女三奈さん(フリーアナウンサー)次男正興さんをもうけた。



