2006年9月16日、中日山本昌が41歳1カ月でノーヒットノーランを達成。史上最年長での大記録達成だった。以下は翌9月17日付の日刊スポーツ紙面。
中日山本昌投手(41)が16日の阪神18回戦(ナゴヤドーム)で史上73人目(84回目)の無安打無得点試合を達成した。奪三振5、無四球、許した走者は4回の失策による1人だけの「準完全試合」だった。41歳1カ月での達成は、95年オリックス佐藤の40歳11カ月を抜く史上最年長記録。大一番でのベテラン左腕の快投で中日は阪神に連勝、優勝へのマジックを「15」とした。
山本昌の巨体が天に向かって伸びた。9回2死。最後の打者赤星は三ゴロ。ゲームセットの瞬間、井端が飛びついてきた。ベンチからは立浪が突進してきた。ブルペンにいたはずの岩瀬らリリーフ陣までいた。「みんなが出てきてくれて、ああ本当なんだな…と。信じられないような感じだった」。史上最年長ノーヒッターの姿が見えなくなるほどの歓喜の輪。まるで優勝したようだった。
落合監督は帽子を取り、お辞儀をして出迎えた。「何も言うことはない。こんなゲームでノーヒットノーランやって…。オレも長いことやってて初めてだ。マサへのご褒美だろう」。勝てばライバルにとどめを刺す重要な試合で野球人生最高の仕事をやってのけた。
夢のような97球だった。1回、赤星、関本が初球を打ってきた。「狙いはわかった」。阪神の積極策にも動じない。真骨頂といえる最速137キロの直球と100キロ台のスローカーブでタイミングを外した。4回森野の失策での1死二塁、唯一の「ピンチ」もシーツをスクリューで右飛。金本をスライダーで三邪飛。ほかには1人の走者も許さなかった。
7回に、ベンチの雰囲気が変わってきたことを感じた。隣に座っていた谷繁がひと言も話し掛けてこなくなった。4回に失策を犯した森野が申し訳なさそうな顔をしている。それでも「まさかないよな…」。だが8回を投げ終えると、スタンドから大歓声が起きた。緊張感がピークに達した。
運命の9回、マウンドへと歩き出した山本昌はいつもの験担ぎをした。グラブをはめた右手を脇に抱える。一塁線を踏まないようにまたぐ。自分で決めたマウンドに上がるまでの歩数を調整するため最後は小またになった。想像もつかないほど細やかな神経で、必死に快挙への階段を上った。
「自分には縁がない記録だと思っていた…」。23年前の夏、日大藤沢高のエースだった山本昌は神奈川の地区大会で2ケタ三振を奪って完全試合を達成した怪腕。だが、プロで生き残るため“技巧派”になった。「僕はヒットを打たれても抑えるというタイプだから」。近藤、野口、川上…。後輩たちの快挙達成も、客観的にながめていた。
だが通算487試合目。野球の神様は、緩急と制球力で生き抜いてきた大ベテランにご褒美を用意していた。189勝目は格別の味がした。「まぐれだよ。まぐれしかあり得ない。喜びすぎると次に影響しそうだから…」。通算200勝へもあと11と迫った男にも、成し遂げた快挙は、現実感がないほどすごいことだった。【鈴木忠平】
今は亡き2人の恩人が山本昌の基礎をつくった。88年、ドジャースに野球留学した際に指導を受けたアイク生原氏と、プロ入り時に担当スカウトだった高木時夫氏だ。「今のボクがあるのは、あの2人のおかげです」。山本昌にとっては感謝してもしきれないほど大きな存在だ。プロで生き抜いていくための技術面と精神面受けた教えは、今も山本昌を支えている。
技術面では生原氏にスクリューボールを教わった。それまでプロ4年間で4試合の登板に止まっていたが、代名詞となった決め球で球界を代表する左腕となった。そして精神面では高木氏に厳しさを教わった。契約書にサインした瞬間からプロとして扱われた。「山本君」から「山本」と呼び方が変わった。常に叱咤激励を受けてきた。
まだ2人に報告できていないことがある。それは日本一だ。99年の米国優勝旅行の時には、生原氏の墓前に優勝の報告をしたが、日本一の報告はできなかった。「何とか日本一になってオフにその報告をしたいね」。52年ぶりの日本一を勝ち取り、胸を張って2人に報告するつもりだ。【中日担当・伊藤馨一】
▼山本昌が今年5月25日ガトームソン(ヤクルト)以来プロ野球73人、84度目のノーヒットノーランを達成した。中日の投手では02年川上以来で10人目。41歳1カ月での達成は、95年佐藤(オリックス)の40歳11カ月を抜く最年長記録。41歳以上の投手が「完封」したのも若林(阪神、毎日)大野(広島)に次いで史上3人目だった。プロ23年目も前記佐藤の19年を抜くスロー記録で、山本昌はこれが通算189勝目。57年金田(国鉄)が自身2度目のノーヒットを達成した時が180勝目だったが、189勝目は通算勝利数でも最も遅い。なお、100球未満での達成は90年柴田(日本ハム=94球)以来で、セ・リーグでは72年外木場(広島=93球)以来。
▼山本昌が許した走者は失策の1人だけ。許した走者1人だけで完封した「準完全試合」は今年6月8日斉藤和(ソフトバンク)以来42度目だが、走者の内訳は安打29度、四球10度、死球1度、失策2度。失策の走者1人だけで完全試合を逃したのは、1リーグ時代の48年真田(大陽)以来で、2リーグ制後は初めてだ。もちろん、準完全試合でも最年長記録になる。
◆大リーグでは
史上最多7度のノーヒット・ノーランを成し遂げたノーラン・ライアンは、最後の達成がレンジャーズ時代の91年5月1日のブルージェイズ戦。44歳3カ月の最年長記録をマークした。40歳を過ぎてからは2度達成。90年6月11日のアスレチックス戦で自身6度目を記録した時は、43歳4カ月だった。完全試合に限ると、ランディ・ジョンソン(当時ダイヤモンドバックス、現ヤンキース)が04年5月18日のブレーブス戦で40歳8カ月の最年長記録を樹立している。<投手の最年長記録>
◆登板
50年11月5日浜崎真二(阪急)が毎日戦で記録した48歳10カ月。先発して敗戦投手だった。
◆勝利
50年5月7日浜崎真二(阪急)が東急戦で記録した48歳4カ月。リリーフでの白星だった。
◆完封
50年11月12日若林忠志(毎日)が近鉄戦で記録した42歳8カ月。最年長完投もこの42歳8カ月。
◆2ケタ奪三振
05年5月19日工藤公康(巨人)がソフトバンク戦で記録した42歳0カ月。
◆タイトル
最多勝は05年下柳剛(阪神)の37歳で、防御率は97年大野(広島)の42歳。
巨人工藤(同じ40代左腕の快挙を聞き)「マサ、おめでとう。勝ち星(215勝)は抜かれないと思うけど、ノーヒット・ノーランは並べるように頑張るよ。(最年長記録は)来年、オレが抜くよ」
ヤクルト古田兼任監督(同じ昭和40年会で進行深く)「9回もテレビで見てましたよ。すごいわ。コントロールと緩急。プロ野球選手の鑑ですね。135キロが出れば抑えられることを証明してくれました」
楽天山崎武(元中日で20年目のベテラン)
よかった。僕らもうれしいです。オッサン連中の励みになりました。
○…中日山本昌の弟で日大藤沢高(神奈川)の野球部監督を務める山本秀明氏(36)が、兄の快挙を喜んだ。この日試合を終えて学校に戻ったところで知り「本当にすごい。この調子で200勝を達成してもらいたい」と祝福した。04年8月に同校野球部監督に就任して以来、毎年夏の県大会には兄が応援に球場まで駆けつけてくれる。「僕が甲子園に行くのと、(兄の)200勝がどっちが早いですかね」と期待を込めて話した。(2006年9月17日付日刊スポーツ紙面より)



