左から樹木希林さん、森繁久弥さん、赤木春恵さん
左から樹木希林さん、森繁久弥さん、赤木春恵さん

今年亡くなった樹木希林さん、赤木春恵さんの芸能界での半生を振り返った時、2人が大きな影響を受けた人物として、ある名前が浮かびました。森繁久弥さんです。

森繁さんは数多くの映画に主演し、ミュージカル黎明(れいめい)期に「屋根の上のヴァイオリン弾き」のロングラン公演を成功させ、日本にミュージカルを定着させた大功労者です。09年に亡くなった時に「国民栄誉賞」も受賞しました。樹木さんは21歳の時に森繁さんの主演ドラマ「七人の孫」にレギュラー出演。赤木さんも一時、家庭に入った後、30代後半で森繁劇団に参加しました。

樹木さんは「日常を常に俯瞰(ふかん)で見る、という視点は森繁さんから学びました。あの戦争をくぐり抜け、満州へ行って、そういう過酷な人生を送ってきた。でも、そういう人生を面白がるっていうのを含め魅力がありました。久世光彦さん、向田邦子さん、私の3人は森繁さんに育てられた生徒」と言えば、赤木さんも「劇団の10年間はいろいろな役をいただきながら、必死に自分の芝居を磨く修業時代。森繁さんが汚い格好で演じるリアリティーある人間像は、一種のカルチャーショックで、女優として飛躍できた」。

後に大女優となった2人の師匠とも言うべき森繁さんは9年前に96歳で亡くなりましたが、その葬儀で、親族席に座った女性を取材したことを思い出します。当時、62歳だったクラーク桂子さんで、米サンフランシスコから駆けつけました。桂子さんの父は黒人兵士で、母は出産後に行方不明になりました。森繁さんのラジオ番組に、桂子さんが自らの境遇を書いた手紙を投稿したことから交流が始まりました。桂子さんは米国に在住する青年との結婚を決めましたが、出生届が未提出だったためビザもパスポートも出ず、出国できませんでした。森繁さんは彼女を「養女」にして、米国に送り出しました。

森繁久弥さんの葬儀・告別式に参列した養女のクラーク桂子さん(2009年11月20日撮影)
森繁久弥さんの葬儀・告別式に参列した養女のクラーク桂子さん(2009年11月20日撮影)

取材に桂子さんは「3人の子どもと4人の孫がいます。お父さんのおかげで、今の幸せがあると思います。お父さんは厳しく、優しかった。今日は『お父さん、ありがとう』と言いました」と涙ながらに話してくれました。桂子さんは、森繁さんよりも19年前に亡くなった妻万寿子さんの命日にも必ず来日し、墓参りをしていました。

森繁さんは終戦当時、NHKのアナウンサーとして満州にいました。帰国したのは1年3カ月後で、その間に引き揚げ時の混乱による一家離散の悲劇をいくつも見ていたのでしょう。だから、桂子さんの境遇にもひとごとでなかったのだろうと想像できます。来年4月で「平成」も終わりますが、大正、昭和、そして平成を生きた森繁さんを知る人も少なくなってきました。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)