NHKの連続テレビ小説「おちょやん」が始まりました。1930年代から、66歳で亡くなる73年まで大阪を中心に活躍した女優浪花千栄子(なにわ・ちえこ)さんをモデルに、1回目から5回目までは、幼い日の貧しい生活にあってたくましく生きる姿が描かれています。

自伝の「水のように」には、満足に小学校にも行けず、奉公先のトイレで文字を覚えたなどの苦労話が書かれていますが、成人して女優として人気者になった後にも、私生活ではつらい思いをしています。浪花さんは23歳の時に松竹新喜劇を創設した2代目渋谷天外と結婚し、新喜劇の看板女優としても夫を支えました。結婚生活は20年となり、当時の新喜劇の有望俳優で、後に昭和の喜劇王となる藤山寛美を養子にしようという話も出たそうです。しかし、天外が新喜劇の若手女優と不倫関係となり、子供までできたため、夫の裏切りに怒った浪花さんは家を出て離婚してしまいました。

その後は映画で黒澤明監督「蜘蛛巣城」、小津安二郎監督「彼岸花」、溝口健二監督「近松物語」など日本を代表する名監督の作品に出演し、テレビでも大河ドラマ「太閤記」で緒形拳演じる秀吉の母大政所を演じました。浪花さんの話す大阪弁は優しい温もりがあり、「浪花の大阪弁は国宝クラス」と高く評価され、大阪のお母さん女優とも言われましたが、そのイメージが決定的になったのが大塚製薬の「オロナイン軟膏」のCM出演でした。もともとは大村崑がCMキャラクターで、大村の主演した「とんま天狗」では「姓は尾呂内、名は楠公」という商品名そのままの役名で出演しました。しかし、ある時、大塚製薬の社長が浪花さんと会食した時、浪花さんの本名が「南口(なんこう)キクノ」であることを知り、ずばり「軟膏きくの」に通じると、浪花さんを起用することになったそうです。大村さんの自伝エッセーによると、突然の交代に大村さんはへそを曲げたそうですが、その代わりに新製品の「オロナミンC」のCM出演が持ち込まれ、「オロナミンCは小さな巨人です」のキャッチフレーズは有名です。浪花さんも「浪花千栄子でございます」という言葉で始まるテレビCMで全国の家庭に親しまれ、浪花さんがオロナイン軟膏を手にほほ笑むホーロー看板が全国の街の至るところに貼られました。浪花さんは元祖CM女優でもあったのです。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)