「奇妙」は、人生を円滑に進める魔法の言葉だと思う。不測の事態、いらだちを鎮める際に「奇妙なことだ」と流してしまえば、無用なトラブルを避けられる。教えられたのは、昨年6月に81際で亡くなった大女優、野際陽子さんからだった。

取材会の場では何度かお会いしたが、面と向かって1対1で取材したのは1度きりだった。10年以上前。たしか山口の山間部。テレビドラマの収録先だった。他社も含め、ロケ先の取材会に呼ばれ、その取材後、単独でインタビューをする手はずだった。

ただ、天候の都合で、収録スケジュールは大幅にずれ、我々取材陣も山間部への移動だったため、延着した。悪天候でのロケ変更は多々あるものだが、どうしても、出演陣、スタッフにはいらいらが募る。何時間もかけて、現場に我々が着いても、取材時間は大幅に短縮され、10分ほどになることだってよくある。

あの時も、我々を連行したテレビ局側スタッフも「時間はないと思う」と言っていたし、時間は予定通り用意されたとしても、演者の機嫌はすこぶる悪く、話の収穫に手間取ることは容易に想像された。なにしろ、そうなると、現場はピリピリムードで、取材どころではなくなるのが相場だ。

野際さんといえば、凜(りん)としたアナウンサー出身の大女優。ピリピリ覚悟だったが、まったく違った。取材は円滑に進み、個別のインタビューに入った。そこで、野際さんが「何事も予定通りに進まない。人生もそう。何が起こるか分からない。もちろん、不測の事態に備えて準備は大事だけど…」と始めた。

事件、トラブルは起こってしまえば仕方ない。その後が大事だ。どう対処するのかを聞くと「奇妙よね、と思うことにしている」と言っていた。人生、まさしく予期せぬ事態もあれば、誰かの悪意に基づくトラブルだってある。悪意を感じたとしても「奇妙」な事態だと受け止めてしまえば、それ以上関わることはなく、流せてしまう。

アナウンサー時代、トラブルはつねに、野際さんのそばにあった。そこから生まれた人生訓なのだろう。以来、何があっても「奇妙、奇妙」と唱えるように努め、若い頃より、トラブルは減った。野際さんは「なるようになるしかない」とも言っていた。決して、無責任という意味ではない。

トラブルがあった際に、「奇妙」「なるようになる」と流せるだけ、普段からの備え、努力を怠らないようにしなさいということだと思った。流されて日常を送らず、たとえば今、食事をする意味から考えて過ごしていけば、必然的に無責任にはならない。

魔法の言葉「奇妙」を口にすれば、心に余裕も生まれる。あの取材時、冷え症も話題になった。野際さんは「3つの首をあっためなさい。首は分かっている人も多いけど、足首、そして手首ね」と教えてくれた。

いつでも、人に真正面から対することのできる余裕も持っていた。野際さんのように「奇妙」に生きていきたい。【村上久美子】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)