ジャニー喜多川さんと石原プロ専務だった小林正彦さん(享年80)の間には知られざる交流があった。

90年代の終わり頃。「番頭」として石原プロを仕切っていた小林さんが意外な話を明かした。「実はジャニーさんと時々マージャンをやってるんだ」。知人を交え、年に何度かマージャン卓を囲み情報交換をしているという。当時、ともに60代。小林さんはジャニーさんの5歳下だった。

ホスト役はジャニーさんで、自宅に招く形で会は行われた。お手伝いとしてジャニーズJrの少年が待機していて、お茶や食べ物を運んでくれる。

「そこに来る少年はそのときどきのジャニーさんのイチ押しで、僕らにお披露目しているんだな、と思っていた。だって、『どうです?』って、しきりに感想を求められたから」と小林さんはその意図を見抜いていた。「でも、正直、おれには分からないんだよ。(石原)裕次郎さんのタイプとは対極にいる少年ばかりだからね」とも。

だが、そんな小林さんの記憶に残った少年が1人だけいた。滝沢秀明氏(37)だ。「タッキーっているだろ。あれはやはり別格だったよ。おれでも、この子はすごいってひと目で分かったから。外見だけでなく、にじみ出るようなものがあったし、応対もしっかりしていた」と振り返った。

滝沢氏は当時10代半ば。間を置かずして、テレビドラマ「魔女の条件」(99年、TBS系)で、松嶋菜々子と教師と生徒の禁断の恋を演じて注目を集めることになる。

アイドル発掘に天才的な目を持っていたジャニーさんは、その対極とも言える「男の軍団」の番頭に何を求めたのだろう。「イチ押し少年」を芸能界の有力者に“お披露目”との意図はもちろんだが、それ以上に自分では測りきれない少年らの「可能性」を、正反対の視点を交えて見極めようとしていたのではないだろうか。

ジャニーさんはかつて、ビートルズのマネジャー、ブライアン・エプスタインがメンバー以上に前に出てメディアに登場する姿を見て「ああなってはいけない」と黒子に徹する決意を固めたという。

気配りができて、初対面の「大物」にも物おじせず、その心をしっかりとつかむ。一方で、お茶くみという「裏方」仕事も黙々とこなす。それはまさにジャニーさんがイメージする理想のマネジャーであり、プロデューサー像だ。

後継指名への思いは、小林さんとマージャン卓を囲んでいた頃からあったのかもしれない。

10代の頃から飛び抜けていた滝沢氏のプロデューサーとしての総合力が、今後の王国を支えることになる。