ジャニー喜多川さん(享年87)は、日本のエンタメ界の発展に尽力した人には、敬意と尊敬を持って接してきた。何かあれば、全力で協力した。

国民的歌手美空ひばりさん(享年52)とは、ジャニーさんがひばりさんのアメリカ公演(50年)の手伝いをしたことで出会い、ショービジネス界に入る1つのきっかけとなった。当時ひばりさん13歳、ジャニーさん19歳。ひばりさんの長男でひばりプロダクションの加藤和也社長(47)は「ジャニーさんはその時からのご縁をご自身の中で深く感じてくださっていたと思います」と語る。

11年11月11日に東京ドームで美空ひばり二十三回忌東日本応援コンサート「だいじょうぶ、日本!~空から見守る愛の歌~」が行われた。3月11日に甚大な被害の出た東日本大震災が起き、加藤氏は当初、二十三回忌イベントをちゅうちょした。だが「やはり母のために」と実施を決意も、時間が迫っていた。「東京ドームは母が立った場所ですが、私にはつてはなかった。それで、母との関わりで面識のあったジャニーさんの携帯に初めて電話して『東京ドームを押さえていただけませんか?』とお願いしたんです」。趣旨を聞いたジャニーさんは「ちょっと待ってて」と電話を切り、わずか2時間後に「うちで押さえていた1日、使っていいよ」と連絡をくれたという。加藤氏は「考えられない非常識なお願いだったのに、いろいろ手配してくれたのでしょう。本当に感激しました」。

加藤氏の有香夫人は、吉永小百合、石原裕次郎らと日活黄金時代を支えた俳優浜田光夫(75)の娘。実は浜田は戦後、ジャニーさんが結成した少年野球チーム「ジャニーズ」の一員。加藤氏は「不思議な縁を感じます」。

ジャニーズの母として知られた女優森光子さん(享年92)が体調不良でライフワークの舞台「放浪記」を中止した時も、ジャニーさんは「森さんの場所をずっと守りたい」と、急きょ代替公演「ジャニーズ銀座」を開催した。公演は森さんの死後も継続され、今年5月21日に通算500回公演に達した。

根底にはジャニーさんの座右の銘「Show must go on(何があろうと、ショーの幕は開けなければならない)」がある。時代を築いた方々を心から敬うイズムは、滝沢秀明氏(37)らに受け継がれて行く。【特別取材斑】