映画「無頼」シリーズや、刑事ドラマ「西部警察」などで知られる俳優渡哲也(わたり・てつや)さん(本名・渡瀬道彦)が10日午後6時30分、肺炎のため亡くなったことが分かった。78歳だった。

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意を決して聞いたことがある。当時62歳。石原プロ社長になって17年。押しも押されもせぬスター俳優だが、軍団2代目社長として「石原裕次郎」の枕ことばが常に付きまとう。世間もそれに満足していた。「俳優は誰だって『自分』で勝負したいはず。いつまでも『石原軍団』。裕次郎さんの名前を背負い、軍団のボスとして生きるのは複雑なのでは」。東京・銀座。夏空を見上げながら答えた。「俺だって考えたことはあるよ。(刑事ドラマ撮影で)拳銃を持って走り回っていると、いい年してこれがやりたいことなのかと」。

裕次郎さんの死去直後、遺言に従い、石原プロは「解散」が既定路線だった。「みんなが路頭に迷う」。そう主張する番頭の小林正彦専務を中心に協議の場が設けられた。社員は何も言わないが、思いを感じ取った渡さんが言った。「分かった。俺が(社長を)やる」。理由を聞いた。「不思議な言い方になるけど、裕次郎さんだったらどうするかを考えた。出た答えがそれだった」。当時45歳。まさにこれからのスター俳優として、裕次郎さんの「呪縛」から解き放たれていいタイミングでもあった。「石原プロを守ると決めたのは自分。これを曲げるわけにはいきません」。

思い込んだら一本気。この気質が、多くの人が感じる渡さんのイメージだが、私はそれが最大の「弱点」だったとも思う。「大した将来も考えていなかった若者が、ほれ込む男に出会えた。人生それで十分じゃないか」と話した。俳優人生の多くを「石原プロ社長」で費やし、軍団リーダーを演じきったが、実は複雑な思いを抱えていた。「大人の男女の恋愛。なかなか若者に理解されない壮年の男。大人の映画をやってみたいよね」。それでも表情はすがすがしかった。男が男にほれ抜く。それが、誰もがうらやむ渡哲也の人生だった。【松田秀彦】