タモリ(75)ビートたけし(73)明石家さんま(65)らをテレビの人気者にした元フジテレビのプロデューサー、佐藤義和さんが10月28日、移住先の沖縄で肺がんのため亡くなっていたことが1日、分かった。72歳だった。

佐藤さんは宮城県塩釜市出身。東北学院大を卒業後、71年にフジテレビの子会社「フジポニー」にアルバイトを経て入社。80年にフジテレビに移籍後は、11年に亡くなった横沢彪さん(享年73)の下でディレクター、プロデューサーとしてバラエティー番組で活躍。「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに、フジテレビが80年代に業界トップに躍り出る原動力の1人だった。

「オレたちひょうきん族」(81~89年)では「ひょうきんディレクターズ」の一員として、ビビンバ荻野、三宅デタガリ恵介などと画面にも登場。シングル「ひょうきんパラダイス」をリリースしている。頭髪が薄かったことから“ゲーハー佐藤”と呼ばれていた。

酒好きで知られた。ディレクター、プロデューサーを務めた「笑っていいとも」(82~14年)では、司会のタモリが「サトちゃん」と呼び、「タモリさん、そうだかだー」と酒の席でタバコを吸いながら打ち合わせをする佐藤さんのまねをして笑わせた。

プロデューサーになってからもウッチャンナンチャン、ダウンタウンらの番組を担当して、後に続く若い芸人を育てた。タレントのみならず、ディレクター、プロデューサー、放送作家など数々のバラエティーの作り手も育てた。05年に早期退職して、フリーとして活動。近年は沖縄に移住していた。

今年3月に沖縄で佐藤さんと会って話したというお笑い関係者は「また、一緒に面白いものを作りたいねと話していたのに。80年代以降のフジテレビのバラエティーの礎を築いたすごい人でした」としのんだ。