フリーアナウンサー生島ヒロシ(70)が、1998年(平10)4月6日からパーソナリティーを務める、TBS系ラジオ「生島ヒロシのおはよう定食/一直線」(月~金曜午前5時)が、来月5日に6000回目の放送を迎える。

その人生の軌跡を「生島ヒロシ6000回の歩み」と題して振り返ってみた。

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せっかく入った法大を2年終了時でやめて、その年の7月にハワイの地に降り立ちました。1971年(昭46)のことです。ハワイに着いて火山灰の赤土を踏みしめながら、出発の羽田空港に見送りに来てくれた人たちの顔を思い出しました。

「何が何でも、自分はロッキー青木になるぞ」と、全米に鉄板焼きチェーン「BENIHANA」を展開した立志伝中の人を思い浮かべたりしているうちに、だんだんと怖くなってきました。空港に降り立っても、誰も迎えが来ていないんですから。

頼りは、腕に覚えありの空手です。一緒になった日系人の女の子のお父さんに「極真空手の道場は?」って聞いたら、「もうつぶれたよ」っていう返事が返ってきました。いろいろな頼りになる人の連絡先を聞いておきましたが、基本は「行けばなんとかなるだろう」と。おおらかな時代でした(笑い)。

取りあえず、教えてもらった日本人ホテルの「ナカムラ・ホテル」というところにチェックインしました。そこで、日本人のパーサー、客室乗務員のおじさんと知り合いました。

「偉い! 君のように、たった1人で来る度胸のあるのは偉い。ただ、ハワイはなかな移民局も厳しいし、働くのにビザもいるよ」

「え、ビザいるんですか」

そんなことも知らずにハワイまで行ったんです(笑い)。

「じゃ、サンフランシスコに行こう。語学学校で、ただで英語が学べるんだぞ。アダルトスクールっていうんだ。君のように青雲の志を持ってやってきて、英語をしゃべれない人のために、英語教育をただでやってくれるんだ」

親切にも米本土のサンフランシスコまで、連れて行ってくれるという。でも、飛行機の中で、声をかけられた白人と英語で話していたら、急に不機嫌な顔になっちゃった。オリンピックホテルっていうところに着いたら「ダメだよ。知らない人と話したら」と怒り出しちゃった。穏やかな人だったのに。その人、後々、分かるんですが、ゲイだったんです。それで、焼きもちを焼いていた(笑い)。

その人、怒り疲れて眠っちゃったの。で、なんか変だなと思って、抜け出すことに決めた。それにかばんの中に白い粉があってね。よく分からないけど、麻薬だったのかな。このままいると、使いっ走りにされるんじゃないかと、第六感が働いたんです。

抜き足差し足で部屋から逃げた。映画みたいなスリルですよ。ただ、家のおばあちゃんから「うそはつくな。立つ鳥跡を濁さず」と言われていたので、フロントに行って、「マイ・フレンズ・スリーピング。アイ・ゴー・バイバイ。ハーフ、ハーフ」とか単語を並べて、半分だけホテル代を受け取ってもらいました。

そこからは連絡先を聞いていたロサンゼルスに住んでいる人のところに行くことに決めました。法大時代の友達、その先輩の友達が移住しているのを、2カ所だけ住所をメモしていました。もしかしたら行くかも知れないから「言っておくからね」ってことでしたが。まさか、来るとは思っていない(笑い)。そこを目指して行くことにしました(続く)。

◆生島(いくしま)ヒロシ 1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。長男は俳優生島勇輝(36)次男は俳優生島翔(35)。血液型A。