ボヤキが止まらない年増芸者、イジられ続ける気弱なサラリーマン…「志村けんのだいじょうぶだぁ」や「志村けんのバカ殿様」で志村さんと柄本明(77)が繰り広げたコントの数々にずいぶん笑わされた。

80年代の後半から90年代にかけてのことだ。80年代に入ると「俺たちひょうきん族」も始まり、今では考えられないような高視聴率で「笑い」を競い合った時代だった。

先日、柄本にインタビューする機会があり、当時のことを聞いた。

「30代の終わりから40代の頃でしたが、怖かったですよ。志村さんとの仕事が一番怖かったかもしれませんね」

劇団東京乾電池を結成して10年あまり、すでにドラマや映画で幅広い役柄をこなしていたが、志村さんとの仕事は格別だったようだ。

笑いを誘うのは、2人が醸す独特の空気から生まれるアドリブの数々だったが、土台がしっかりしていたからこその変幻自在だったようだ。

「あの台本作りは言語を絶するくらいすごかった。何人も(放送)作家さんがいて、それが1人ずつ殺され(ボツにされ)ていく。ほとんど私語は交わしません。おはようございますとお疲れさまだけですね。あとはここはこういう具合にと台本を合わせて本番を待つ。志村さんと僕の間に何か生まれるはずだ、と。だから本番が恐ろしかった」

ゆるーく笑わせる表舞台とは、まるで正反対に裏側はピリピリしていたのだ。

志村さんは「笑いとかやるのは得な顔」と直観的に柄本にオファーを出したことを明かしているが、その対応力も見抜いていたのだろう。

88年、映画「カンゾー先生」では、主演俳優の降板という大ピンチで急きょ代役を務めた。カンヌ映画祭で、最高賞パルムドールを2回得た今村昌平監督のメガホン。これも対応力の証に違いない。

「三国(連太郎)さん主演で撮影が始まって、僕は他の役で出ていたんだけど、三国さんで100テイク。OKが出ないんです。現場はいたたまれませんよ。地獄でしたね。スタッフもみんな逃げ出したかったんじゃないかな」

名優・三国さんの降板を受けての代役である。荷の重さは想像に難くない。

「イマヘイさんはカリスマ。特別なんですよ。最初にあの美声で『よーい、スタート!』(テノールの声まねで)を聞いた時は体が動かなくなりましたね。小細工とか全部バレちゃう気がするんです。でも、カメラは回っているし、頭の中はグルグル回っているけど、やらなきゃいけないから」

結果、この演技で日本アカデミー賞など4つの映画賞で主演男優賞を獲得することになった。

対応力は今も健在で、公開中の映画「レンタル・ファミリー」では、オスカー俳優ブレンダン・フレイザー(57)を相手に流ちょうな英語ゼリフを披露している。これほどの英語セリフ量は初めてというが、1カ月あまりのレッスンでものにしたという。

「いやあ、コーチの方がいらしたから」と照れ笑いしたが、芸歴52年目にしてまだまだ活動の幅は広がりそうだ。【相原斎】