このところ、自民党総裁選をめぐる出馬をめぐる動きは、台風で表向きの動きはほぼ止まった。ただ水面下では続いている。表向きは「派閥解消」を踏まえて、派閥が表だって動けない中での初めての総裁選。しかも現職が出ないとなれば、立候補した人には等しくチャンスがある。過去最高だった5人をはるかに超える人数による戦いとなるのも確実。まだ選挙戦は始まっていないが、表でも裏でもさまざまな「うごめき」が続いている。
一方、同時期に行われる立憲民主党代表選は、どうも動きが鈍い。現代表の泉健太氏(50)がまだ立候補を表明しておらず、一部では推薦人20人を集めるのに苦心しているのではないかとの見方も。これまでに表明したのは枝野幸男前代表(60)と野田佳彦元首相(67)の2人だけ。約12年前に幕を閉じた民主党政権で首相を務めた人と官房長官を務めた人ということもあり、「先祖返り」「昔の顔」と、評価はさんざんだ。
そもそも今の自民党の人数(衆参367人)に比べ、136人と約3分の1という人数ながら、代表選には自民党と同じ20人の推薦人が必要。自民党でも集めるのに苦心する人が多いのに、自民党以上に推薦人確保が難しいシステム。決まったルールなのは仕方ないにしても、もう少し違った顔ぶれが出てきてもいいのでは?と感じてしまう。
そんな中でも、8月29日に地元の駅前で出馬表明した野田氏には「安定感」を指摘する声を、自民党関係者からも耳にした。野田氏には、大の格闘技ファンで「ドスンパンチ」という異名もある。首相退任後はしばらく国会論戦の表舞台には現れなかったが、元首相として安倍晋三元首相、菅義偉前首相、岸田文雄首相と予算委員会で対峙(たいじ)するうち一部では「再登板待望論」も出ていた。
野田氏は今回の出馬表明で、再び「ドジョウ」を打ち出した。「あ、やっぱり出た」と感じた。「ドジョウ」は、「野田さんにとってはある種の成功体験キーワード」(野党議員)でもあるのだ。
民主党政権時代、菅直人氏の辞任表明を受けた2011年8月の民主党代表選に出馬した野田氏は、当時党内最大グループを率いた小沢一郎氏が支援した海江田万里を追う立場で、本番の代表選を迎えた。1回目投票は2位だったが、海江田氏との決選投票前の決意表明で「ドジョウ演説」を行い、この内容が所属議員の胸を打ち、逆転勝利して代表の座に就き、首相にのぼりつめた。
「ドジョウ演説」のもとは、書家で詩人の相田みつの詩の一節「どじょうがさ金魚のまねすることねんだよなあ」というフレーズ。野田氏は当時の決意表明で「ドジョウはドジョウ持ち味がある。金魚のまねをしてもできません」「ドジョウの政治をとことんやり抜いていく」と訴えた。松下政経塾1期生時代に家庭教師、よろずや相談所などさまざまな仕事を経験しながら、千葉県議に初当選。国会議員になった後も通算38年間、駅頭での演説を続けてきた。ドジョウ演説は、泥臭く政治を追求するという自身のスタイルをアピールしたものだったが、当時を知る関係者は「野田氏の、あの腹の底から響く野太い声、話術に圧倒された面もある」と振り返る。
野田氏はその後の民進党幹事長時代、当時、代表だった蓮舫氏を支えることについて、蓮舫氏の名前をもじって「ハスの花を支えるレンコン幹事長」と表現したこともあり、言葉遣いの巧みさは自民党関係者も認める。かつてのキャッチフレーズは「駅前留学はNOVA、駅前演説はノダ」だった。その野田氏は今回の出馬会見の際「やたら改革もどきを言っている、世襲の多い『金魚』たちに立ち向かっていくドジョウでありたい」と述べ、進次郎氏ら世襲議員を「金魚」に例え対抗心をにじませたが、対比としては絶妙だった。
2012年11月14日の党首討論で電撃衆院解散をぶち上げ、結果的に惨敗し民主党政権に幕を引いた野田氏には、党内でも批判的な声がある。永田町でも「二匹目のどじょうをねらっているんじゃないの?」と冷ややかな声を聞いた。野田氏自身、出馬会見で「私が『昔の名前で出ています』と言うと、その(小林旭の)曲を知らない記者がいっぱいいるくらい古い」と、自身が「昔の顔」と認めざるを得なかった。
プロレスを愛する野田氏はジャンボ鶴田さんのファンを公言。かつて、日刊スポーツのインタビューで「あれだけ基礎体力のあるレスラーはいなかった」と話していた。今回は、そうした自身の「基礎体力」が再び問われる場になるのは確かだ。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)




